【夫婦関係】妻からの無視・非難・暴言に耐えられますか?

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僕と妻の夫婦関係は壊れてしまい、家庭内別居のような状態になっています。中でもつらいのは、妻からの「無視」です。どうにも参ってしまって…どのような心構えで対処すればいいのか、ちょっと探ってみました。

僕と妻の関係が壊れてしまった経緯

無視 タイトル

僕と妻の関係が壊れてしまった経緯については、こちら↓の記事に書いたので、今回は割愛します。
【家庭内別居】僕たち夫婦のパートナーシップが壊れてしまった理由(体験談)
【産後クライシス】妻が僕を憎むようになった理由… 妻の怒りに夫としてどう向き合うか(体験談)

最近になって、壊れてしまった関係に少し変化が感じられて、こんなの↓も書いてみました。
【夫婦関係】修復の兆しか!?離婚回避のために僕が取り組んだこととは―
【夫婦関係】「介入」ではなく「信じて祈る」・・・僕の20年間の過ちとは―

少しは改善が見られたかも、と思って書いてみたわけですが、そんなに甘くはありませんでした。

妻からの「無視」が、僕の心を削ぎ続けているのです。

妻からの「無視」は、こんな感じ

この5年ほどで、夫婦関係は悪化の一途をたどっており、今はこんな感じになっています。

・挨拶しても無視される
・会話は基本的になし
・妻からの言葉は、否定的なものばかり
・注文は山ほどしてくる(無理難題含む)
・できないと人格否定的な攻撃

挨拶しても無視されることには、正直もう慣れてしまいました。無視されると分かっているのに、こちらから挨拶し続けることが、なんだか馬鹿らしくなってしまって、だんだん僕からも挨拶をしなくなってしまいました。これ、よくないですよね…

話しかけても、妻にとって答える価値のないことについては、答えが返ってきません。これも、正直慣れてしまいましたね… 挨拶同様、だんだん馬鹿らしくなって、必要最小限の事務的なこと以外は、僕の方からも話しかけなくなってしまいあした。これも、よくないですよね…

こうして書いていて気付いたのですが、僕は無視されることそのものには、もう感覚が麻痺してしまっているようです。

では、なぜこんなにストレスを抱えて苦しいんだろう。こんな記事を書き始めてしまったのは、妻とのやり取りに、どうにも心を削られて疲弊しきってしまい、気持ちのやり場がなくなってしまったからです。

無視されることに「慣れて」「麻痺」してしまったとは言え、本当はいつも心は傷ついているのかもしれませんね。よく分かりません。

はっきり自覚できるのは、妻から発せられる否定的な言葉が、無視されて砂漠みたいになった心に、グサッと刺さる感覚です。

否定的な言葉に、なぜこんなに傷つくのか

もし、挨拶が交わせていて、肯定的な会話が成り立っていたらなら、否定的な言葉が発せられても、こんなには傷つかないような気がします。うまく相対化して、必要なメッセージを受取ることができるでしょう。

でも、無視されているところに、否定的なことだけを言われ続けると、バランスを取るのが本当に難しいと感じます。

相手の言葉や態度に「反応」してはいけないと、頭では分かっています。反応が起こると、自分を防御しようとして、相手に怒りをぶつけてしまったり、とっさにウソをついてしまったり、ということが起こります。これがいい結果を招くことは、絶対にありません。

でも、無視され続けて、うるおいがなくなってしまった心は、すごく反応しやすくなってしまうんですよね。カサカサに乾いてしまった皮膚が、ちょっとした刺激で炎症を起こしてしまうような感じでしょうか。

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妻からの言葉は「命令」と「否定」のみ

妻は基本、育児と洗濯だけを行い、他の家事(掃除、料理、ゴミ処理など)はしません。買い物もすべて僕です。あ、洗濯といっても、僕の洗濯物は洗ってくれませんよ。深夜に自分でやります。

妻は、僕に家事をさせることを、当然の権利のように思っているようです。出会ってからの15年間、夫のせいで自分は傷ついてきた。だから、夫は永遠にそれを反省し、償い続けるべきだ。そう考えているのです。何度も、そう言われてきました。

それを受け入れるのは、僕にとってかなり難しいことでした。なぜなら、妻が否定的にとらえている過去の様々な出来事について、僕には僕の思いがあったのですから。「そんなつもりはなかった」ということが、山ほどあるのです。こんなにも見ていた世界が違っていたのかと、呆然とする感じでした。

それでも受け入れて、自分にできることを精一杯やろうと思いました。だから、一般的に考えたら無茶苦茶な家事の要求にも、頑張って答えてきました。

でも、それが評価されたり、感謝されることはありません。僕自身、過去に妻が家事をしてくれていたときに、その頑張りを認めて感謝することが足りていなかったかもしれません。こうして自分がその立場に立つと、身に染みて申し訳なく思います。それにしても、今の妻のやり方は、行き過ぎているように思います。

妻からの「注文」は、日々新たにやってきます。たいていはメールで発注が来ます。最近の文面を、いくつか載せてみます。

「デジカメ必ず充電しておくこと」
「ガソリンいれましたか?家が片付いてませんが?」
「洗濯機のなかのタオルを外に干すこと。明後日から雨 必ずやること」
「現金 明日までに」

どうなんでしょう。客観的に見て。僕は、この乾ききった文面が届くのが、本当に恐怖なんです。スマホが鳴って、メールの送り主が妻だと分かると、開封するのに深呼吸する必要があります。

命令だけでなく、クレームも届きます。これもキツイんです。例えば、これ。

「毎朝うるさい静かにしろ」

これは何かというと、僕は午前中に台所仕事をしてから出社するのですが、その作業の音がうるさいと言っているのです。妻はずいぶん遅くまで寝てますから。これでも気を配って、静かにやっているつもりなのですが、この一言で僕の心は砕けます。

頑張って料理していることも、妻が食い散らかした食器をきれいに片づけている努力も、まったく顧みられることなく、この一文だけを送り付けてくる。メールを開封する恐ろしさを、分かっていただけるでしょうか。

今朝はキッチンでこんなやり取りがありました。

「私のパン、もうなくなるんだけど。なんで買っておかないの?」

妻は成城石井のちょっと高級なお気に入りのパンしか食べません。成城石井は会社の帰り道にあるので、僕が買って帰ることになっています。いくつかまとめて買ってきて冷凍庫に入れて、それを焼いて食べています。

僕は、こう返事しました。

「なくなりそうになったら、教えてくれる?そしたら買って帰るから」

僕には、いちいち冷凍庫をチェックして、パンがなくなりそうかどうかを確認する余裕などないので、妻が教えてくれるのが一番いいわけです。妻に負担がかかるわけではないし、そもそも妻自身が食べるものを僕に頼むわけだから、そのくらいのことは当然ですよね。でも、妻はこう言ってきます。

「私の食べるペースくらい把握できるでしょ。そのペースで買ってくればいいのよ」

うーん。どうなんでしょう。僕はもう答えるのをやめました。このやり取りがまともだとは思えないからです。ここで応酬してしまったら、ただただ削られるだけだと分かるからです(この日の晩、ちゃんとパンは買って帰りました)。

こうした数多くの命令に対して、僕がちゃんとできなかったら、大変なことになります。

「だからあんたは発達障害だっていうのよ」

これは妻の決め台詞です。僕は何も答えられません。反論しても意味がないのです。話がかみ合うことはなく、さらにズタズタにされるのは目に見えています。

皆さんは、どう思われますか?客観的なご意見を聞かせていただけると、ありがたいです。

僕のたましいは何を望んでいるのか

僕は、妻からの無視と、否定的な言葉と、繰り返される命令と、人格否定的な非難に日々さらされながら、いったい自分のたましいは何を望んでいるのだろうと考えます。

僕はずっと、妻との関係を修復して、仲良くなりたいと願ってきました。二人の子供たちの成長を、また一緒に見守れたらいいなぁと思っていました。

でも、その願いは僕の中から消えていこうとしています。

誰もがそうだと思いますが、僕はやはり自分が存在してもいいのだと思える居場所がほしい。失敗することがあっても、うまくいかないことがあっても、存在そのものを否定されることのない場所。ありのままの自分でいいのだと思える場所。愛されていると思える場所。

そんな根源的な願いが、妻と一緒にいては得られないことが、はっきりしてきたように思います。

僕がそれでも離婚を躊躇する理由は、よく考えたら一つだけです。

それは、まだ幼い次女と一緒にいたいという切実な願いです。

妻とはもう別々の人生を歩んだ方がいいに決まっている。高校生の長女は、もう自分で自分の人生を選んでいける年齢です。僕を頼りたいときは、自分の意思で僕に連絡をとることができるでしょう。一番かわいい時期を一緒に過ごせたという満足感も、長女に対してはあります。

でも、次女との時間を失ってしまうことは、僕にとっては心が張り裂けるような痛みを伴います。だから僕は離婚を選択できないのです。

ただただ次女と一緒にいたいがために、心を殺して妻とのやり取りに耐えています。でも、これは正しいことなのでしょうか。

すみません。こんな独り言に突き合わせてしまいまして。長文を読んでくださって、感謝いたします。もしよろしかったら、アドバイスをいただけると心からうれしいです。

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2 Responses to “【夫婦関係】妻からの無視・非難・暴言に耐えられますか?”

  1. より:

    重度ASDと不注意ADHDの20代です。自己愛性人格障害の診断は降りていませんが自分はそれも大いに含んでいます。
    アスペルガーと自己愛性人格障害を併発しながら、それを克服する人のお話を探してこのブログにたどり着きました。
    どちらも基本「自分は悪くない」から自分の非を省みない状態なんですよね。それでトラブルの台風の目になるのに、当人の話は驚くほど聞きません。
    私は自分にできないことをできると思い込んで、できないのは他人や運や環境のせいにし続け、近しい人をカサンドラ症候群にしました。優しい人が、悪口を言うのも自身を卑しめるから嫌いという人が恨みつらみを吐き続けるまで、自分はその人を傷つけ追い込みました。酷いことを何度も重ねています。今悔いています。
    人の感情理論がとても難しいです。
    ASDで人をカサンドラにしたうえで、自身の人を傷つけた事実に責任を持ち償い続けるあなたがいることが、同じ道にいる僕の心の支えになっているということです。
    「自分はこういうことをした。相手はこう傷ついた」の具体例の数々に僕も同じことをやっていると、心強く落ち込みます。
    人を傷つけないアスペルガーになりたいですし、その前に傷つけた相手の傷を軽減し償うところから始めなければなりません。
    これからもブログを見にきます。アスペルガーでありながら自分の間違いを知り傷つけた相手を償うあなたを尊敬します。応援します。
    言葉足らずですがこれからもよろしくお願いします。学ばせてください。

    • eiji-maru より:

      荻さん、メッセージありがとうございます。僕の独り言のようなブログが、誰かの心に響いて、少しでもお役に立てているのだとしたら、望外の喜びです。

      荻さんご自身、これまでに様々な苦しみ、悲しみを感じてこられたのだと思います。人を傷つけてしまったことを自覚して、罪悪感に押しつぶされそうになっているのではないでしょうか。

      「自分にできないことをできると思い込んで、できないのは他人や運や環境のせいにし続け」という荻さんの自己分析、僕はよく分かります。この「できる」という思い込みは、万能感などではなく、強烈な自己否定感の裏返しのような気がします。

      僕の場合は、物心ついたころから、自分には価値がないと思い込んでいました。このままの自分では愛されないと。幼いころは、ただ自信がなく、いつも人をうらやんでいるような子供でしたが、思春期を経て大人になる過程で、自己を防衛するように認知と行動にゆがみが出てきました。人をおとしめ自分を高く見せることで生き延びるすべを身につけていきました。

      荻さんの場合は分かりませんが、もし僕と同じように、根底に自己否定感があるのだとしたら、そこを癒すことからはじめるのが大事だと思います。「自分はありのままで価値がある」と思うことができたら、弱い自分を許すことができるでしょう。

      僕は40代ですが、この年になってようやくそのことに気付きました。ありのままの自分を許し、癒し、愛することに取り組もうと思っているところです。

      僕も道半ばです。日々揺れています。特に妻との関係は、自分の弱さを映し出す鏡となって、僕の心を翻弄します。そんな中から、本来の自分を思い出していければと願っています。

      今後もまたコメントをいただけたら、うれしいです。長い道のりかもしれませんが、お互い一歩一歩進んでいきましょう。ありがとうございました。

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