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【悲報】「単身赴任」という名の「別居」~愛する娘と会えなくなって2年半の悲しみと孤独~

孤独、娘に会いたい

こんにちは。えいぷりおです。

僕は単身赴任をしているサラリーマンで、離れている自宅には妻と子供が2人います。

よくあることかもしれません。ですが「単身赴任」というのは表向きの姿であって、実態は「別居」という方が正しい。

実は、愛する娘に会わせてもらえなくなって2年半も経つのです。

つらすぎて、この話題をブログに書くことができないまま月日が流れてしまいました。でも、このままでは前に進めないと思い、こうして筆をとりました。

この2年半、何を感じながら、僕は一人で生きてきたのか。それを書き留めておこうと思います。

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一番つらいのは幼い次女に会えなくなったこと

僕には二人の娘がいます。長女は大学生。次女はちょっと年が離れていて小学生です。

僕が一番つらいのは、まだ幼い次女に会えなくなってしまったことです。

長女の成長過程には、ずっと関わることができました。大きくなった今は、自分の道を進んでくれればと思っています。

ですが、次女は日々どんどん成長していく大切な時期です。この時期に一緒いいられない悲しさ、寂しさは、言葉で表現できません

毎日、次女の姿を想像しては、

「今どんなことが楽しいだろう」

「学校では友達と仲良くしているかな」

「悩んでいることはないかな」

そんなことばかり思う毎日です。そして、どうしても考えてしまうのです。

「僕のことを覚えてくれているだろうか…」

自宅に帰れなくなった経緯

単身赴任のサラリーマンは、たまに自宅に帰って家族と楽しい時間を過ごすのが普通なのでしょう。

でも僕は、自宅に帰ることを妻から拒否されています出張で自宅の方面に行くことがあっても、近隣のカプセルホテルを使う有様です。

僕と妻の関係は、数年前から決定的に破綻していました。その理由は一言では語れませんが、僕の人間的な未熟さに根本的な原因があったと思います。

妻に対する共感のなさ。家庭の様々な判断を妻に押し付けて、責任から逃げてきたこと。その上、妻の決めたことに不満な態度をとったこともありました。

そんな理不尽な夫にずっと耐えてきた妻が、二人目の子供を妊娠・出産したのを機に、我慢するのをやめる決意をしたのです。

そしてあなたは発達障害で人格障害だと、僕の性質を攻撃するようになりました。

ことの重大性に気付いた僕は、反省して自分の欠点を直そうと努力してきましたが、時すでに遅し。僕の言動はすべて、妻を苛立たせ、怒りを増幅させることにしかなりませんでした。

そんな最悪な時に、単身赴任の辞令が下ったのでした。

当初は「離れて暮らせば妻のストレスも軽減して、僕への怒りもおさまるかも…」と期待したりもしましたが、そんなはずはありませんでした。

日々、妻から攻撃的なメールが届き、着信音が鳴るたびに動悸がする日々。単身赴任でさらに夫婦関係が悪化するという地獄のような悪循環に入っていきました。

そして、単身赴任が始まって3ヶ月ほど経った時、僕は帰宅を拒否されるようになったのです。

次女に会うために「別居宣言」

帰宅することは諦めようと思いました。でも、次女には会わせてほしい僕は妻に懇願しました。

しかし、妻は「あなたに娘と会う資格はない」と言って、僕の願いを拒絶したのです。

無理やりにでも会いに行くという手段もあったかもしれませんが、僕はそんなことをしたくありませんでした。

きちんと話し合って、どうしても埒が明かないならば、家庭裁判所に調停を申し立てようと考えました。

その前段階として、僕は別居宣言をすることにしました。別居宣言とは、今の状態は単身赴任ではなく、(離婚を前提とした)別居状態であると宣言することです。

この時に力になってくれたのは、初回無料の弁護士相談でした。女性の弁護士さんが、テキパキと具体的なアドバイスをしてくれて、別居宣言について教えてくれたのです。

妻はもともと離婚を希望していたこともあり、別居はすんなりと受け入れられました。

別居が成立すれば、その時点が財産分与の基準になるなど、ひとつの大きな区切りになります。

僕はまず、月々のお金の渡し方を変えることにしました。

それまでは、給与・賞与の全額を妻に渡して、そこから僕の生活費を分けていましたが、月々定額の婚姻費用を渡すことにしたのです。婚姻費用とは、年収と子供の人数・年齢から算出する月々の生活費です。

これによって、お金をめぐるストレスが激減しました。

それまでは、渡したお金がいつの間にかすべて使われてしまい、その内訳も教えてもらえないず、その上「お金が足りない。あなたは家計のことを何も考えていない」と言われ、ショックを受けることがよくありました。

婚姻費用に切り替えてからは、妻もその範囲でやり繰りしなければならないという自覚が出てきたのか、理不尽ことは言わなくなりました。

しかし、肝心の「次女に会わせてほしい」という願いは、その後もずっと叶えられないまま、時間が過ぎていきました。

実は、僕が次女と会うのを拒んでいたのは、妻ではなく、長女だったということが、後になって分かってきました。

長女は僕を憎んでいた

大学生の長女は、父親と母親の関係が壊れている過程を、至近距離でつぶさに見てきました。

いつも笑顔でいてくれた母親が、実は傷ついていたことを知り、いい父親のようなフリをしていた人間が、実は人格に問題があることを知って、ショックを受けたのでした。

両親の関係性が激変していくのを見るのは、思春期の長女には耐え難いことだったと思います。

さらに悪いことに、長女の性質は僕に似ていました。後先を考えずに突っ走ってしまう発達障害的な面や、人に共感するのが苦手な人格障害的な面を、僕から受け継いでしまったのです。

母親から「あなたの言動は父親そっくり。まともな人間になりたかったら成長しなさい」と繰り返し言われ、自分の中にある父親的な性質を憎むようになりました。

長女にとって父親は「お母さんを傷つけ、自分に間違った性質を植え付けた欠陥人間」となってしまったのです。

単身赴任先の僕が「次女に会わせてほしい」と言ったとき、強硬に反対したのは、妻よりもむしろ長女だったと、後になって知りました。

長女の論理は父親の悪影響を妹に与えたくない。自分と同じ思いは絶対にさせたくないというものでした。

それでも僕は次女に会いたい

幼い次女は「お父さんに会いたい」と言ってくれているそうです。涙が出そうになります。

それなのに、長女はあんなお父さんに会ったら悪影響を受けるからダメだよと言って止めている。

それは許されることなのだろうか…

僕の気持ちは置いておくとして、幼い次女の気持ちはどうなるのだろうか…

やっぱりおかしいと僕は思います。長女の気持ちは受け止めなければならないけれど、妹が父親に会う機会を、姉が奪っていい理由にはなりません。

新型コロナの状況が落ち着いたら、改めて妻と長女に話をしようと思います。僕はやはりどうしても次女に会いたいのです。

別居宣言からの深い孤独

帰宅を拒否され、次女に会えなくなってからの2年間は、妻ともメールのやり取りがありました。

妻からの言葉はいつも攻撃的で、心身にダメージが残るほど苦しいものでしたが、メールの履歴は夫婦の繋がりを示す最後の証拠のようなものでした。

しかし、別居宣言をしてから、妻からは一切メールが来なくなりました。事務的な連絡を長女とLINEで交わすのが唯一の家族との繋がりとなり、夫婦の繋がりはほとんど消滅しました。

ある意味とても平和です。着信音を聞くのが怖かったことを思えば、ずいぶん楽になりました。

でも… それと同時に、恐ろしいほどの深い孤独感がやってきたのです。

それから逃れようと必死に仕事をするけれど、深夜に一人きりのワンルームマンションに帰宅すると、再びどうしようもない孤独に襲われる。その繰り返しです。

そんな僕の、今のたった一つの願い。それは「ただただ、次女に会いたい…」それだけです。

あとがき

僕と妻の関係、僕と長女の関係は、ちょっと特殊なので、誰かの参考になるものではないかもしれません。

でも、3組に1組の夫婦が離婚すると言われる現代社会で、家族との関係に悩み、孤独に苛まれる人は少なくないと思います。

そういう方の何人かが僕のブログにたどり着き、「自分だけじゃないんだ」と、少しでも心が軽くなればと思いました。

一緒に乗り越えていきましょう。

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