自分がどんな人間なのか、いまいちよく分からない、えいぷりおです。
皆さんは「解離」という言葉を、自分のこととして考えたことはありますか? 「解離性障害」などの重い精神疾患のことではなく、誰にでも起こり得る現象として。
最近、感じることがあるんです。僕は自分の本来の感性から切り離されて、別の自分を生きているのではないかと。そして、そのことが僕のパートナーシップの問題に影響を及ぼしているのではないかと。
人は誰しも、大なり小なりの「解離」を起こすことで自分を守り、生き抜く手段にしているような気がします。今日は、自分自身のこととして「解離」を考えてみます。
僕が自分の解離に気付いたきっかけ
まず「解離」とは何か。治療が必要とされる「解離性障害」を中心に、こちら↓でご紹介しています。
「解離性障害」の原因・病理・治療法 ー誰もがなる可能性がある心の病ー他の記事でたびたび触れてきたように、僕は5年ほど前から、妻との関係に問題を抱えてきました。妻が僕によく言う言葉を挙げてみます。
- あなたは人に共感することができない。
- あなたは人を傷つけても元気なまま。
- あなたは人を傷つけてもすぐ忘れる。
- あなたは「ダメな自分」を認めない。
- 別の自分像を作ることで自分を守った。
妻の言葉はすべて、痛いほどに本質を突いています。
特に最後の一文は、僕の解離を言い当てています。
そうなのです。僕はどうやら、もともとの自分から切り離された、「別の自分」を生きているようなのです。
人の痛みを心の底から感じることができない
「別の自分」を生きていると感じるのは、人の痛みと向き合うときです。特に最も近い関係にある、パートナーの痛みと向き合うときです。
例えば、妻がずっと大切にしてきたものを、理不尽な理由によって奪われたとします。その理由に僕自身が深く関わっているとします。
そういうとき、普通の感性を持った人であれは、まず彼女の喪失感に共感するでしょう。心の痛みに向き合い、その痛みを自分のことのように感じるでしょう。感性の鋭い人は、その痛みの強さに涙を流すかもしれません。
そして、相手を苦しませている原因が自分であることに思い至り、その罪の重さに押しつぶされそうになるのではないでしょうか。
ところが僕は、心の底から相手の痛みを感じる、ということができません。暗闇に吸い込まれていくような感じで、手ごたえがないのです。自分でも空恐ろしくなります。そして自らの関わりについても、
「僕も関係しているが、他にも原因があるだろう」
「結局その道を選んだのは相手の責任だ」
などという理屈が頭に沸いてきます。本当はそんな屁理屈とはまったく違う次元で相手は苦しんでいるのですから、こうした思考は、そもそも本質からズレています。
何なんでしょう、これは。心の中心に巨大な空洞がある感じ。僕の心は、どこにいってしまったのでしょうか。
【大人の発達障害】軽症・グレーゾーンだと子供のころに気付けず、問題をより深刻化させる(体験談1)僕が家庭内別居になった理由(体験談)もともと僕は「感じ過ぎる子供」だった
僕は物心がつくころから、人一倍感じやすく、傷つきやすい子供でした。小さな一言に、自分のすべてが否定されたかのような痛みを受けてしまう性質でした。
人の痛みに対しても敏感だったように思います。こんなエピソードがあります。
1983年の夏、広島原爆を描いたアニメ映画「はだしのゲン」が公開されました。僕が8歳のころです。同世代のいとこたちと、映画館に見に行きました。
僕は、原爆が落とされる凄惨なシーンに大きなショックを受け、被爆者たちの姿に自分を重ねて、心に大きな傷を負いました。その後、何日も僕は眠ることができなくなりました。
驚いたことに、いとこたちは映画を見たその日からイビキをかきながら爆睡していました。こんなにも悲しいのに、こんなにも怖いのに、どうして眠ることができるのだろう。不思議でした。
その後、小学校、中学校と進学する過程で、僕は自分の小さなプライドを維持するのに苦労しました。「自分はこのままでは愛されない」という生まれついての思い込みもあり、いつも傷ついていました。
僕が本来の自分を切り離した日
でも、いつからだろう。はっきりとは思い出せませんが、僕はどこかのタイミングで、その傷つきやすい心を自分自信から切り離そうとしました。苦しみから逃れて、生き延びるために選んだ道でした。
その結果、高校、大学、就職、結婚と、時を経るごとに、僕は傷つきにくくなっていきました。成績や受験の合否、就職の内定など、具体的な「Doing=行動実績」によって自己肯定を強めていきました。
本当ならば「僕はこのままでいい」という「Being=存在そのもの」への肯定こそが大切だったはずなのに、それは完全に置き去りにされました。
そして気付いたら僕は、「Doing」だけで自信を保つ人間になっていました。底知れぬ闇のような「Being」は、自分から切り離されて、忘れ去られていきました。
解離はパートナーシップに影を落とす
こうして切り離された心は、社会生活の中で表面化することはないかもしれません。
しかし、パートナーシップという関係性においては、隠し切ることができず露呈します。
僕は妻に対する共感性が欠如していました。妻の痛みを感じ取ることができず、何度も深く傷つけてきました。
感じる心を切り離してしまった「解離」こそが、パートナーシップを破綻させた根本的な原因だったと、僕は考えています。
僕に必要なのは、「解離」に向き合い、本来の自分を取り戻すこと。そこから逃げ続ていては、僕は大切な人の心に寄り添うことができるようにはならないでしょう。
では、どうすれば解離した心を取り戻すことができるのでしょうか?
どうやって本来の自分を取り戻すか
切り離されてしまった感じやすく傷つきやすい本来の自分。
これを見つけ出し、統合していく作業は、自分一人で行うことは困難なはずです。なぜなら、切り離された自分というのは、無意識のうちに巧妙に隠されているからです。
僕の友人のひとりに、同じような解離の感覚を持つ人がいます。彼は、解離からくる違和感に悩まされ、大学時代から様々な心理学的な手法を学んできたといいます。
彼が実体験に基づいて言うには、一般的なカウンセリング技術では、解離を見抜くことは難しいのだそうです。
催眠療法やヒーリング、場合によっては過去生(自分の魂が過去に生きた人生)を見る方法などが、切り離された自分のたましいを見つけ出す助けになるそうです。
ちょっとオカルト的な話になってしまいますね。僕自身、理系の人間なので、「過去生」などと言われても簡単には信じられないのですが、でも、今まさに僕の中で、理屈では把握することのできない解離現象が起こっていることも確かなのです。
すぐれたセラピストに出会うことができたら、僕は本来の自分に出会うことができるのか。自分の小さな常識を覆すような、そんなセラピストとのご縁があればと思っています。
〔追記〕
先ほど登場した友人の紹介で、あるセラピストのセッションを受けました。彼女の見立ては僕に新しい視点を与えてくれました。よろしければ、こちらもご覧ください。
本来の自分を取り戻したら…
もし、素晴らしいセラピストとのご縁があって、解離させた本来の自分との統合が起こった場合、僕はどうなるのでしょうか。
自分を守るために、切り離さざるを得なかった、感じやすく傷つきやすい心。そこに再びつながるということは、今は感じずにすんでいる苦しみに向き合わなければならない、ということを意味します。
僕はそれに耐えられるのか。妻は僕に言いました。
「本当の自分と向き合うと、あなたは耐えられず死ぬでしょう」
これは、あながち間違いではないのかもしれません。やはり妻は人の本質を見抜く人だと感服します。
でも、僕はその苦しみと、今度こそ向き合わなければなりません。そして「どんなに傷ついても、苦しくても、僕はこのままで大丈夫なんだ」と、自分の「Being=存在そのもの」を許し認めること。それができて初めて、僕は新たな一歩を踏み出せるのではないかと思っています。
「自分の人生を自分らしく生きる」ことをテーマにした様々な記事を書いています。こちら ↓ のボタンから、それらの記事を分かりやすく整理したまとめサイトに飛ぶことができます。僕の小さな経験が、あなたの役に立つことを願って…