こんにちは! 40代になっても心は惑い続けているえいぷりおです!
僕は、軽度のADHDとアスペルガー症候群の傾向を持っていました。
そのことに気付かないまま大人になり、その過程で心にゆがみが生じて、自己愛性パーソナリティ障害を患いました。
アスペと自己愛。
こうした特性は社会生活の中では巧妙に隠され、妻との関係の中で表れました。
特に結婚、妊娠、出産という人生の大イベントで噴出したのです。
今回は、僕のアスペと自己愛がどのように噴出したのか、そして、どのような過程を経て妻は僕を見放すに至ったのかを語っていきます。
僕の「大人の発達障害」体験談は、次の7つの記事からなります。
【僕の「大人の発達障害」体験談】
自己愛性パーソナリティ障害は治療できるのか?
この記事は、「大人の発達障害」に関する連載シリーズのひとつです。前回の記事はこちらです。

僕の体験を語る前に、そもそも自己愛性パーソナリティ障害は治療できるのか、という問題に触れておきます。
本やネットで自己愛性パーソナリティ障害の治療法について調べてみると、そのほとんどに「治療するのは無理!」と書かれています。いくつか引用しておきましょう。
治療の進展のためには患者が自己愛と決別する必要がありますが、そのため治療はかなり困難です。効果を上げるためには精神分析的アプローチを勧める治療者もいますが、さらなる研究が必要です。
(ハートクリニックHPから引用)
「自己愛との決別」が困難ということなのですね。
他にも、こんな説明があります。
治療は誇大化された自己像と向き合わなければならないため、一時的な落ち込みや不安が生じることがあります。その場合には、安定剤や抗うつ薬などの薬物療法が用いられることが多くあります。いずれにしても、ドクターと相談しながら根気よく治療を行っていくことが求められます。
また周囲の対応としては、優劣を競ったり、直接的な批判や説教は避け、間違っても全ての要求を受け入れたりしないことが大切です。
自己愛性パーソナリティー障害は、20代で解消することも多々あります。とは言っても、浮き沈みが激しい症状でもあるため、大きな精神ダメージを受ける前に精神科へ行くことも大事です。1人で抱え込まずに、まずは精神科のドクターに相談してみましょう。
(ヘルスケア大学HPから引用)
「20代で解消することも多々あります」という記述に少し希望を持てそうな気がしますが、実際には自らの障害を自覚することが困難と言われています。つまり、治療のスタートラインに立つことができないのです。
若いうちに向き合うことができたら幸運と言っていいでしょう。僕のように向き合うことから逃げ続けて年を重ねてしまうと、障害の度合いはどんどん深まっていきます。
その病いに特効薬はなく、歳とともに悪化する。悪性の場合、治療さえ難しいのは、心理療法の恩恵を得るには、まず自分に欠陥があることを受け入れる必要があるが、彼らにはまさにそれができないからだ。(中略)実際に自己治療は不可能に近いというのが実情でしょう。
このサイトでは自己愛性パーソナリティ障害の人を「モラハラ(モラル・ハラスメント)の加害者」と位置づけています。この解釈は極めて正しいと僕は思います。
その観点で言うと、モラハラを行う人格障害者をどう治療するか? というのは愚問で、
「とにかくそいつから離れろ!」
が周りの人々(特にパートナー)が取るべき唯一の正解となるでしょう。僕の妻にとって回復への道は、僕という人間から決別する以外になかったのです。
妻が僕を見放すまでの道のり
僕は妻と出会ってから15年以上、様々な形で妻に対してモラル・ハラスメントをし続けてきました。自己愛を維持することに必死な僕は、常に妻を見下し、妻の欠点を探し、妻に罪悪感を抱かさなければ自分を保つことができなかったのです。
妻はそれでもずっと僕と一緒にいてくれました。こんな僕とでも幸せな家庭は築けると信じ続けてくれたのです。僕がまともな人間に成長するのを待ち続けてくれた、と言ってもいいかもしれません。
ですが、ふたりめの子供を妊娠したことをきっかけに、妻は僕の人格そのものに大きな問題があることに気付き始めました。その過程で起こった象徴的なできごとを、いくつか見ていきます。
無痛分娩の医療事故に対処できなかった
ふたりめの子供の出産は、妻が望んだ幸せなお産にはなりませんでした。大きな事故が起こったのです。それは、無痛分娩の際の硬膜外麻酔によって引き起こされた「脳脊髄液減少症」でした。

僕は夫として、妻の出産を全力で守るべき立場にあったにもかかわらず、よく調べもせずにリスクのある無痛分娩を選び、出産後に妻に起こった異常(激しい頭痛)に対して、まともな対処がまったくできませんでした。
妻が大変な状況になっていることを察知し、その苦しみに共感し、対応策を必死に調べ、媚びることなく医師に対峙することができたなら、妻を救うことができたかもしれません。
しかし僕はただあたふたするだけで、妻を救うための手を何も打つことができませんでした。妻は何もしてくれない夫に絶望したにちがいありません。
ひどい乳腺炎の妻を放置した
さらに、その直後から妻は激しい乳腺炎に悩まされました。これは、脳脊髄液減少症の症状を緩和するために打った点滴が原因でした。
おっぱいは岩のように固くなって熱を持ち、妻はあまりの激痛にベッドの上で泣いていました。そして、入院は通常よりも数日長引くことになりました。

僕は苦しむ妻を目の当たりにしても何もできませんでした。妻自身が激痛に耐えながら自力で調べて、
「腕のいい助産師さんのマッサージを受ければ痛みが緩和するはずだから、探してほしい」
と僕に頼みました。助産所のリストまで示して。僕はそのいくつかに電話はしましたが、うまく探し出すことができず、早々にあきらめてしまいました。妻には「いい助産師はいなかった」と報告しました。妻の絶望は、どれほど大きかったでしょうか。
この一連の僕の行動は明らかに常軌を逸していました。共感の欠如、人の心よりも自分を守ることに汲々とする精神性の低さ。アスペルガー症候群の傾向の表れであり、自己愛性パーソナリティ障害の表れでもありました。
妻はこれらの出来事に直面し、僕という人間の異常性を確信したと言います。そして、これまで傷つき続けてきた15年を振り返ったとき、すべてはつながっていたことに気付いたのです。夫は人格に大きな欠陥があるのではないかと。
育休で明らかになったアスペルガーの傾向
僕はふたりめの子供の出産にあたり、育児休暇を取得することにしました。それも、1年間という長期間にわたって。妻の出産後のケアと家事育児を万全にしたいと思ったのです。
僕はこう考えていました。
「これまで身体の弱い妻は、家事をうまくできなかった。僕が育休をとればうまくできるはず。なぜなら僕の方が優れた人間だからだ」
しかし、僕の計画(そもそも計画なんてものは、なかったのですが)は、最初から大きくつまづくことになりました。それが、上に記した出産時の事故でした。
妻は退院した時、かなり衰弱した状態になっていました。頭痛も続いていたし、乳腺炎はまだまだひどい状態でした。
そこで僕が直面したのは、「弱っている人・困っている人のケアがまったくできない」という、自分の能力の欠損でした。
相手はいったい何に苦しんでいるのか、どのくらい苦しいのか、何をしてもらいたいのか、そういう相手の状況がまったく読めませんでした。
ちゃんと言葉で指示してもらわなければ何もできない。言葉で指示されても意味を取り違えたり、それほど重要でないと勝手に解釈して放置したり、ということが頻繁に起こりました。
次に直面したのは、「生まれたばかりの赤ちゃんの世話がまったくできない」という事実でした。
生まれてきた子供は、こんな家族の状況が影響したのか、過敏でひどく泣く傾向がありました。
そんなとき妻は優しく抱きしめて安心させてあげることができました(自分もしんどいのに)。そして、赤ちゃんの性質を見極めて、適切なケアを工夫することもできました。
それに対して僕は、ただ焦ってパニックになり、とんちんかんなことばかりしていました。そしてここでも、妻からの指示待ちに陥りました。
こういったエピソードは、今思えばアスペルガー症候群の傾向の表れだったと思います。
育休で明らかになったADHDに傾向
さらに、育児休暇をとったから上手にできるはずだった家事が、何一つまともにできないことも判明しました。
料理がまともにできない。段取りが立てられないのです。
掃除もまともにできない。そもそも汚れやカビなどに対する感覚が鈍いのです。
片付けもまともにできない。家族のものが混じると境界があいまいになって区別がつかなくなるのです。
スケジュール管理もまともにできない。先を見通すことができないのです。
育児の準備もまともにできない。何が必要なのかビジョンを描くことができないのです。
こういったエピソードは、ADHDの表れだと見ていいのではないかと思います。
妻にしてみたら、夫が育休をとってくれたら、安心して身体の回復と授乳に励むことができると思いますよね。なのに毎日夫の無能ぶりを目の当たりにして、かえって心配ごとが増えるありさま。
「夫は何か重要な能力が欠けているのではないか」と疑うのも無理はありませんでした。
僕自身はといえば、ここまで露呈してもなお、「できない自分」を認めることができませんでした。そしてあろうことか、長女に矛先を向けたのです。
長女に自分自身を投影し責める父親
僕は自分ができないことばかりで勝手に疲弊していく中で、長女に口うるさく注意をするようになりました。
長女は中学校への進学の時期で、不安もたくさんあった時期でした。そんな時に、お母さんが体調を崩し、赤ちゃんのお世話も一生懸命手伝いながら、無能な父親が一日中家にいて訳の分からないことを口うるさく注意してくるのです。
とてつもなく大きなストレスだったことでしょう。
「できない自分」から目をそらして、長女を自分の代わりに責めるという逃避行動。この時期に長女に負わせてしまった心の傷は、償っても償いきれるものではありません。
妻は何度も何度もチャンスをくれた
妻はネットを調べて、夫の症状が発達障害によるものであることを発見します。さらに、自己愛性パーソナリティ障害の持ち主であることも確信していきました。
妻自身が15年以上にわたって苦しんできた原因は、夫によるモラル・ハラスメントだったと気付いたのです。この時点で、妻は危険な夫から逃げる選択をすることもできたはずです。
けれど妻は、僕を信じて逃げずにいてくれました。僕に発達障害や自己愛性パーソナリティ障害の概念を伝え、頼むから自覚して改善してほしいと訴えました。大きな愛をもって僕と向き合ってくれたのです。
にもかかわらず僕は妻の言葉を聞き入れることができませんでした。自分の人格に異常があることを認めることができず、逆ギレし、さらに妻を傷つけていきました。
自己愛性パーソナリティ障害が治すことのできない障害だと言われるゆえんです。
妻は何度も何度も、言葉を尽くして、僕の改善を待ってくれました。
「このままでは、本当に愛することができなくなってしまう」
と、叫びのような思いも吐露して。長女までもが、同じように言葉を尽くして僕に語りかけてくれました。その最後の思いを、僕はついに受け入れることができなかったのです。
見放されてようやく認めることができた心の闇
そしてついに、そのときが来ました。優しかった妻の目が、心底軽蔑した目に変わり、優しかった言葉が、憎しみに満ちた口調に変わっていきました。本当に本当に、僕は妻から見放されてしまったのです。

そうなって初めて、少しずつ僕は、自分は取り返しのつかないことをしてしまったのだと思い知りました。
妻ははっきりと
「私の身体が健康で、経済的に自立できるなら、今すぐにでも離婚したい」
と言うようになりました。
僕は、今からでも自分を変えていくことができるのでしょうか。その道のりについては、また改めて書いてみたいと思います。
【僕の「大人の発達障害」体験談】
【つづき】 次の記事「治療の希望… 自分を愛すること」はこちら。

こんにちは。別居について調べていて、このブログにたどりつきました。
わたしは3人の娘がいる主婦です。えいぷりおさんのブログを読ませていただきましたところ、数年前のわたしと似たようなところがあり気になったのでコメントさせていただきました。
これはわたしの仮説ですが、えいぷりおさんは愛着障害とかアダルトチルドレンとかそういうものかもしれないなと思ったのですが…失礼な言い方だとは思いますが、こどものころご両親やご家庭などに問題などありませんでしたか?親に素直に甘えられなかったとかそういうことはなかったですか?アダルトチルドレンの診断などもネット上にありますので、一度やってみられてはいかがでしょう。もしかしたらえいぷりおさんは発達障害ではないかもしれないです。
じつはわたしの兄が離婚問題に発展していて、その原因がなにかというと、兄が義姉のことにきちんと向き合ってくれないことなのだそうです。えいぷりおさんも奥様が苦しいときにその辛さをわかってあげられなかったと書かれていましたが、うちの兄もとても良く似た状況なのです。愛着障害やアダルトチルドレンの症状の分類で回避型という傾向があり、辛いことから目をそらしてしまうことが癖になってしまっている人が、そうした他人の気持ちを理解してあげられないということにつながることがあるそうです。じつはわたしもそうなのです。
もし気になりましたら、一度アダルトチルドレンや愛着障害をネットで検索してみてください。
えいぷりおさんの心のもやもやが早く晴れますように。
ナオコさん、コメントありがとうございます。ずっとお返事が書けず、すみませんでした。
アダルトチルドレン、愛着障害、勉強してみます。
僕の場合は、親に甘えられなかったということはなく、逆のパターンだったと思います。母親は過保護・過干渉の傾向が強かったので。
過保護な環境に甘え、自立することから逃げてしまった結果、自立した大人同士のパートナーシップが築けなかったのではないかと自己分析しています。
ナオコさんもお兄さんも、心健やかに暮らしていかれるよう、かげながら願っております。ありがとうございました。