こんにちは! 家のテレビは妻に占拠されいてるので、GYAOでこっそりドラマを楽しんでいる、居場所のない中年えいぷりおです。えへへ!
2018年1~3月クールのドラマの中で、独自の存在感を放つTBS『きみが心に棲みついた』。
主演の吉岡里帆をめぐる向井理と桐谷健太の三角関係。ありがちな設定で最初はまったく期待していなかったのですが、実はとても深いテーマを含んでいる作品でした。
その魅力をひも解いてみましょう。
今注目の吉岡里帆が連ドラ初主演
ドラマ「きみが心に棲みついた」は、天堂きりんの人気漫画「きみが心に棲みついた」「きみが心に棲みついたS」が原作です。
僕はまだ原作漫画を読んでいませんが、近いうちに必ず読んでみたいと思っています。
心に深い傷を負って育った小川今日子(吉岡里帆)は、自己肯定感が低く、言葉はいつもドモリがち。挙動不審で「キョド子」とあだ名をつけられるような、かなり痛い女子27歳です。
吉岡里帆さんの演技は表情の振れ幅が大きく、泣いて、おびえて、震えて… と目まぐるしく変化します。
動きも漫画のようで、滑稽なくらい挙動不審。雨にずぶ濡れになったり、肌の露出が大きなシーンもあったりと、旬な若手女優が最初の主演作としてキャスティングされるにしては、スマートさのかけらもない役どころです。
中途半端に演じてしまうと、ただ表面的におかしいだけ人になってしまうでしょう。
ところが吉岡里帆さんは、全身全霊の体当たりの演技で、この非日常的なキャラクターに真実味をもたらしています。
そして、彼女の演技によって、このドラマのテーマともいえる「共依存」の問題が、リアリティをもって浮き彫りにされていきます。
今日子をいたぶるドS男
吉岡里帆が演じる小川今日子と「対の関係」になっているのが、向井理が演じる星名連です。
今日子の大学時代の先輩。何人もの女性と関係を持つモテ男で、今日子とも関係を持っていました。
しかし、それはただの恋人関係ではなく、星名は今日子を完全に支配下に置き、虐げていました。友人たちの前で全裸姿にさせるなど、常軌を逸した精神的暴力が行われていたのです。
今日子の脳裏には、そうした出来事が頻繁にフラッシュバックします。大学卒業後は会わなくなっていたにもかかわらず、星名に対する恐怖心は潜在意識の下で膨らんでいきました。
支配する星名と、支配される今日子。ふたりの関係は対の構造をなしています。その二人が職場で再開して… こうしてドラマは始まります。
向井理の演技もまた、このドラマの見どころでしょう。能面のような笑顔の中で冷酷に相手をロックオンする視線。支配した相手に対して徹底的にサディスティックになるところなど、迫真の演技に背筋が冷たくなります。
親からの虐待 ―ふたりは鏡のような関係―
今日子と星名、正反対の立場にある二人ですが、実は鏡のような関係にあります。
二人はともに、親から精神的、肉体的に虐待を受けていたことが示唆されています。
今日子は母親から人間以下の扱いを受け、幼少のころから自己肯定感を破壊されています。優秀な妹と比較され、存在そのものを否定されて育ちます。
星名は父親から暴力を受けていました。押さえつけられ、鋭利な刃物のようなものを振りかざされる瞬間が、時折脳裏に去来します。
まだドラマでは明らかにされていませんが、そこに母親も絡んでいたようで、過酷な家庭環境で育ったことが想像されます。
「俺だけのためだけに生きてくれ」
今日子と星名の関係を決定づけたと思われる、重要なシーン。二人の中で何度も繰り返し思い出される大学時代の場面があります。
泣き崩れる星名。「わたしに何かできること、ありますか?」と寄り添う今日子。
「だったら、俺だけのために生きてくれよ」と星名。それに応じる今日子。
この場面における星名は、今日子をだますために演技をしているようには見えません。
崩壊してしまいそうな自分を保つために、無意識のうちに今日子を支配下に置こうとしたのではないかと思うのです。
このやり取りをきっかけに、二人のパズルのピースはぴったりとはまってしまいます。そこから二人は、互いに逃げることのできない蟻地獄のような関係に陥っていきます。
その関係性とは「共依存」です。
ドラマの真のテーマは「共依存」
共依存とは、ウィキペディアによると次のように説明されています。
自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。
(引用:ウィキペディア)
表面的には、相手から依存されることによって自分の存在価値を見出している状態。
それはつまり、依存してくれる相手に依存している状態と言えます。
どちらか一方が精神的に自立していて、相手からの依存を拒否することができれば、共依存の関係は成立しません。
しかし二人がお互いに依存し合う関係だと、強固な共依存の関係が作られてしまいます。
今日子と星名の関係は、ただの支配関係や主従関係ではなく、共依存の関係であるということが、このドラマのベースになっています。
今日子から星名への依存
まず今日子から星名への依存を考えてみます。これはとても分かりやすい形で表れています。
今日子は親から精神的虐待を受けて育ち、自己肯定感を育めないまま大学生になります。
親から存在そのものを否定され、「誰も自分を必要としていない」という思い込みを抱えて生きています。
そんなとき、泣き崩れる星名から「俺のためだけに生きてくれ」と言われます。
憧れの人から必要とされること(=依存されること)に、それまで感じたことのない喜びを見出す今日子。
自分を必要としてくれる人は星名だけだと信じ、彼から言われれば人前で裸にもなってしまいます。
いったん離れはしますが、心の底では「彼から必要とされたい」という思いを捨て去ることができず、むしろ肥大化させていきます。
職場での再会をきっかけに、今日子はその思いを抑えきれなくなります。彼から言われたら人前で下着姿で歩いてしまう… また同じことを繰り返すことになります。
今日子は「彼から必要とされたい(=依存されたい)」という依存心を、自力ではどうやっても克服することができず、苦悩します。
依存してくれる相手に依存する。まさに共依存関係の片側を完璧に演じているのが今日子なのです。
星名から今日子への依存
次に星名から今日子への依存を考えてみましょう。これは非常に分かりにくいものです。
星名も父親から過酷な暴力を受けて育ちます。ドラマではまだ明らかにされていませんが(4話の時点で)、母親も大きな犯罪を犯し服役するなど、複雑な家庭環境が背景にあります。
おそらく星名は、「誰も自分のために生きてくれない(=誰も自分を愛してくれない)」と思い詰めて生きてきたのだと思います。
だから彼は、すべてを捧げて自分のためだけに生きてくれる誰かを求めていたのでしょう。
ルックスの整った彼は、多くの女性と関係を持ちます。
ですが、すべてを捧げて自分のためだけに生きてくれる人など現れるものではありません。
なぜなら精神的に自立した人はそういう関係を望まず、彼から逃げるからです。
自分を愛してほしい… そう切望する星名は、多くの人と関係を結びながらも、発狂しそうなほどの孤独感を感じていたはずです。
そんな彼の前に「誰かから必要とされたい」と切望する女性が表れます。今日子です。
今日子の思いを察知した星名は、「すべてを捧げて自分のためだけに生きる」ことを今日子に求め、支配下に置きます。
友人たちの前で全裸にさせるなど常軌を逸した要求を課して、今日子の忠誠心を試し続けます。
サディスティックに今日子をいたぶる星名ですが、その実、今日子からの依存がなければ、彼の精神は崩壊してしまいます。
だから、飴とムチを巧みに使い分けながら、常に今日子が自分に依存し続けるように仕向けるのです。
こうして今日子と星名は、共依存関係という強力な磁石の両極を担い、もはや自力では離れることのできない状態に至っています。
桐谷健太が「自立」の象徴か
そんな二人の共依存関係にくさびを打ち込むキーマンが、桐谷健太が演じる吉崎幸次郎です。
彼は精神的に自立しています。
僕が、その人が自立した人かどうかを考えるとき、いつも基準にしているのは、「相手の人生を尊重できる人かどうか」ということです。
「相手の人生を尊重する」というのは、自分の人生に責任を持てる人でなければできません。
自分の人生に責任を持つとは、つまり「自立」しているということです。
吉崎は、今日子を一人の人間として見ています。表面的には挙動不審でも、その内側にある思いに目を向けることができます。そして彼女を自立した人間として尊重します。
吉崎の出現は、今日子にとっても星名にとっても脅威です。
「自立とは何か」を突き付けられ、自らの最大の弱点と向き合わされることになるからです。
今日子は吉崎に「もう私なんかに関わらないでください」と言って逃げ出そうとします。
星名は吉崎をつぶすべき相手と見定めて、狡猾な攻撃をしかけていきます。
そうしないと、二人は生きていけないのです。
第5話以降、共依存と自立が対決していくことになるでしょう。
今日子と星名は、吉崎との対決の中で、自らの弱さと向き合うことができるのでしょうか。
僕が「きみすみ」に注目する理由
僕がこのドラマ『きみが心に棲みついた』に、共依存と自立というテーマを見出して注目している理由は、僕自身が共依存の関係を築いてしまった経験があるからです。
僕は両親から暴行や虐待を受けた記憶はありませんが、なぜか物心ついたころから自分にまったく自信がなく、このままの自分では愛されないという思い込みを強く抱いて育ちました。
その思い込みは思春期を経る過程で歪んだものとなり、「自分は人より優れていなければ愛されない」という思考になっていきました。
妻と出会ったとき、僕は自分にはない魅力を持つ彼女に心を惹かれながらも、無意識下で自分より優れた能力や人柄を持つ彼女に脅威を感じました。
そして彼女を音もなく痛めつけ、弱らせて、僕が支えなければいけない存在に変えていってしまいました。
こうした関係を築いてしまった自分の弱さを、僕はずっと認めることができませんでした。
ようやく気付いたのは、つい数年前です。
共依存は人と人の関係において、もっとも恐ろしいものだと僕は思っています。
おそらく現代社会いおいて、自立できず共依存に陥って、自分の人生を生きられずにいる人は数多く存在するのではないでしょうか。
『きみが心に棲みついた』が、そうした人間関係の本質に迫り、僕たちに考えるきっかけを与えてくれることに期待します。
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