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【自己愛性パーソナリティ障害】僕の心がゆがんだ原因と経緯(体験談2)

こんにちは! 家庭内別居ブロガーのえいぷりおです!

自己愛性パーソナリティ障害って知ってますか?

自分は人よりも優れていると思い込み、人の気持ちに共感することができない人格の障害です。

これはとても難しい障害で、治すことはできないとまで言われています。

僕は思春期のころから自己愛にゆがみが表れはじめました。そして、それが夫婦の間で表面化して妻との関係が破綻してしまいました。

僕の中でどのようにして、このやっかいな障害が形成されてしまったのか、書き留めておきます。

自己愛性パーソナリティ障害とは

この記事は、「大人の発達障害」に関する連載シリーズのひとつです。前回の記事はこちらです。

【大人の発達障害】軽症・グレーゾーンでも夫婦関係に深刻な影響をもたらす(体験談1)
僕自身の体験を語る前に、「自己愛性パーソナリティ障害」について触れておきましょう。

自己愛性パーソナリティ障害の定義

DSMというアメリカ精神医学会の発表している精神障害の分類基準によると、「自己愛性パーソナリティ(人格)障害」は次のように定義づけられています。

誇大性(空想または行動における)賞賛されたいという欲望共感の欠如の広域な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。

1.自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないのにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3.自分が”特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または団体で)しか理解されない、または関係があるべきだと、と信じている。

4.過剰な賞賛を求める。

5.特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6.対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、 またはそれに気づこうとしない。

8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9.尊大で傲慢な行動、または態度。

ちょっと難しいですよね。

簡単に言うと、

  • 自分は特別な存在だと思い込む
  • 華々しい成功を夢想する
  • 特別扱いを求める
  • 人の心に共感できない
  • 他人に対して過度に尊大な態度を取る
  • 相手の気持ちに無頓着

こういった人格的に破綻した状態を指します。歪んだ自己愛に支配されてしまうんですね。

このような自己愛性パーソナリティやその傾向を持つ人は、現代社会では非常に多くなっていると言われています。

忘れてならないのは、肥大化した自己愛はコンプレックス・劣等感の裏返しである、ということです。

ガラス細工のように傷つきやすい自己を必死に守ろうとした結果、「自分は優れている」という妄想に取りつかれてしまうのだと思います。

だから他人の気持ちを思いやる余裕がなく、共感性を持つことができません。人の優れた面や美しい面を素直に認めることができず、激しい羨望と嫉妬を抱きます。

そして批判されること、否定されること、敗北することに対して非常にもろいのも特徴的です。そういった局面にさらされると、猛烈な憤怒で対抗するか、この世の終わりのように落ち込む、といった極端な反応を示します。

似たような障害との鑑別

次のような障害とは区別されます。

〔反社会性パーソナリティ障害〕
法律や他者の権利を露骨に軽視します。自己愛性パーソナリティ障害には、このような露骨な反社会的な行動は現れないようです。

 

〔妄想型統合失調症〕
明らかな妄想を示す精神疾患です。自己愛性パーソナリティ障害では、病的な妄想は起こらないようです。

 

〔境界性パーソナリティ障害〕
「境界例」といったりしますね。患者の示す感情と不安定さは、自己愛性パーソナリティ障害より強烈です。自己愛性パーソナリティ障害は、境界例に比べると一見分かりにくい、あるいは巧妙に隠されているような気がします。

 

〔演技性パーソナリティ障害〕
より感情を表に出す傾向があります。でもおそらく、自己愛性パーソナリティ障害と似たような人格のもろさがベースにあるのだと思います。

※僕の主観も交えて書いていますので、正確な情報は専門家の著述を読んでいただくようお願いします。

僕の「自己愛」は思春期に肥大化した

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前の記事に書いたように、僕には発達障害の傾向がありました。

【大人の発達障害】軽症・グレーゾーンでも夫婦関係に深刻な影響をもたらす(体験談1)

周囲とのコミュニケーション能力に欠け、相手の気持ちを理解するのが苦手だったため、思春期となる中学時代くらいから、クラスになじむことができませんでした。

そんな僕は、「自分を消す」ことで周囲との関係に対応する道を選びました。相手とぶつかり合うことを避け、人との関係に思い悩むことから逃げたのです。人の意向を忖度し、人に媚び、しかもそういう態度を悟られないよう慎重に。

その結果、自分は何者なのかが分からなくなりました。自分はどう生きたいのか、自分にとっての幸せとは何なのか、そういったことが、本当によく分かりませんでした。自分に対する信頼、自信を失っていきました。

当時の僕は、劣等感のかたまりだったと思います。いつも人からどう見られているのかが、気になって仕方ありませんでした。

高校時代、いつも自信に満ち溢れた憧れの先輩に、こう聞いてみたことがあります。

「自分が人からどう見られているか、気になりませんか?」

その先輩の答えは、僕にとって衝撃でした。

「そんなもん、関係ないやろ。大事なんは、自分が人をどう見るかや」

そんなこと、僕は考えたこともありませんでした。

一方で、僕は学校の成績はすごくよかったんです。高校受験も大学受験も就職活動も、すべて大きな成功と言える結果を手にしました。

そうした表面的な成功にすがるしかなかった僕は「自分分は優秀なんだ」と思い込もうとしました。人に優劣を付けて、自分より下に格付けした相手を見下すようになっていきました。そうしないと、自分を保てなかったのです。

でも、その評価の基準は、常に歪んでいました。相手のことは不当に低く見て、自分のことは過大に高く見るのです。

そういう見方しかできなくなると、相手のよさを認めることができなくなり、自分に対して謙虚でいることができなくなります

そして、自分のコンプレックスを相手が指摘しようものなら、発作的に強い怒りがわくようになりました。

人からの善意のアドバイスにも怒りがわく

例えば、こんなエピソードがあります。

僕は楽器をやっていました。高校でも大学でも楽団に入って、仲間と合奏をしていました。

残念ながら、僕は楽器が下手でした。自己流でやるものだから、くせばかりついて上達しないのです。

僕より後で楽器を始めた連中は、みな素直に先生の指導を仰いで謙虚に練習するので、あっという間に僕を抜いていきました。

でもその時、僕はこう思っていたのです。

「彼らは正確には弾けるかもしれないが、まったく音楽的ではない。僕は音楽性では彼らより上だ」

先輩や同輩から、

「君はもう少し、こうやって演奏した方がうまくいくのではないか」

と、善意のアドバイスを受けたとき、僕の中には、どす黒い怒りが込み上げてきました。アドバイスを批判としか捉えることができず、馬鹿にされたと感じてしまったのです。

今思えば、その同輩のかけてくれた言葉は、実にフェアで愛情にあふれたものだったはずなのに。

「このままの自分では愛されない」という感覚

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こうした歪んだ自己愛の形成のベースには、自己の弱さをさらけ出すことができない「もろさ」があると思います。

そのもろさは、弱い自分、できない自分、かっこ悪い自分、醜い自分…こんな自分は人から愛されない、という強烈な恐怖から来ているような気がします。

心の底に染みついてしまったこの思い込みは、いつどのように形成されたのか。僕の場合は、「物心ついたころから」としか言えません。かなり幼いころから、自分はこのままでは愛されない、と心のどこかで思っていました。

幼稚園児のころには、すでに自分の「名前」が嫌いでした。なんで自分はこんな名前なんだろう。なんで他の子のように「普通の名前」じゃないんだろう、と思っていました。僕の名前は、別に変じゃないんですよ。いたって普通です。でも、なぜか幼いころからそう思っていました。

何らかの乳幼児期の体験が影響している、特に母親との関係が影響している、というような説がありますが、僕自身にはこれといった記憶がありません。

もしかしたら、生まれつき持っていた発達障害の傾向のために、上手にできないことがたくさんあって、健康的な自信を育むことができなかったのかもしれません。

でも両親に聞いてみても、それらしき出来事は明らかになりませんでした。周囲の子供たちに比べて大きな違いは感じなかったといいます。

両親は僕に対して過保護・過干渉な面はあったようです。それが、僕の成長を妨げた可能性はあると思います。人との関わりで傷ついたとき、

「悪いのはあの子たちで、あなたは悪くない」

というような声かけをされていたとしたような気がします。その言葉は一時的な逃げ道にはなったかもしれないけれど、本当の意味では僕の救いにはならなかったと思います。

「傷ついて辛いかもしれないけど、あなたは愛される存在。大丈夫だからあの子たちとぶつかっておいで」

そう励まし続けてくれたなら、僕は人との関わりの怖さを乗り越えて、自分への信頼を持つことができたのかもしれません。

幼いころに心の中に形成されてしまった「自分はこのままでは愛されない」という切羽詰まった思い込みが、思春期になって周囲との人間関係に強く現れ始めたとき、生き抜いていくために「自己愛」というもろい鎧を身にまとい始めたのだと思います。

〔追記〕その後、ちょっと不思議なセラピストの、ちょっと変わったセッションを受けました。新たな視点で自分のことを知る機会になりました。もしよかったら、ご覧ください。

【愛原実鳥さんのセッション1】霊的な存在(守護霊=サポーター)からのメッセージ
【愛原実鳥さんのセッション2】母親の負のエネルギー(過保護・過干渉)から自立する
【愛原実鳥さんのセッション3】「過去世」は自分の知られざる一面を教えてくれる

思春期を経て就職、結婚での挫折

思春期に身にまといはじめた「自己愛」は、年齢を重ねるに従って肥大化していきました。表面的に仲のいい人に対しても、いつも心の中では、歪んだ評価で自分と比較して見下すようになっていきました。

しかし就職して、現実の厳しさと直面せざるを得なくなります。自己愛という鎧は完膚なきまでにたたき壊されました。大きな挫折を経験しました。

そして、結婚。就職と同時期に結婚した僕は、会社でまったく通用しなかった自己愛のすべてを、最も身近にいた妻に対して強烈に発動させはじめたのです。

僕の「大人の発達障害」シリーズ、続きはこちらをご覧ください。

【自己愛性パーソナリティ障害】妻を傷つけ結婚生活を破壊する心の闇(体験談3)
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大人の発達障害の記事まとめ

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