夫婦関係がうまくいかなくなり、僕が単身赴任してからは帰宅を拒否され、幼い娘にも会わせてもらえなくなって…
そんな出来事が重なって、僕は「離婚調停」と「面会交流調停」を申し立てました。
面会交流については、妻も譲歩の姿勢を見せ、紆余曲折の末、5年ぶりに娘と再会することができました。
しかし離婚については、妻は話し合いを拒否し、調停は不成立になってしまいました。
妻と離婚するために、僕は訴訟を起こすことになりました。調停が不成立になってしまった理由と、今の僕の思いを記します。
【離婚・子供との面会に向けて動き出す】
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僕が離婚を望む理由
僕は妻との離婚を望んでいます。お互いの価値観があまりに違い過ぎているからです。
僕は楽天的な性質で、環境や状況を前向きにとらえ、あまり悲観的になりません。ただ、人の本音を読み取ることが苦手で、やや幼稚なところがあります。
一方、妻は人の心に敏感で、傷ついた人に深く共感できる人です。ただ、それが行き過ぎて猜疑心が強くなり、「相手は自分を傷つける加害者で、自分は虐げられる被害者」という架空のドラマを作り上げてしまうところがあります。
例えば、両親は「幼い頃から私を愛してくれなかった毒親」、夫は「私を傷つける発達障害・人格障害のモラハラ夫」になってしまう、といった具合です。
ひとたび妻の「加害者認定」を受けてしまうと、断罪され、関係を断ち切られることになります。
そして、それは妻だけの人間関係にとどまらず、家族にも大きな影響を及ぼしました。
妻は両親に、次女が生まれた事実さえも隠しました。両親が孫の誕生を知らされなかっただけでなく、次女は「おじいちゃん・おばあちゃん」という存在を知らないまま育ったのです。
長女には、「あんたは父親と同じ障害者。私の言う通りに直さないと社会でやっていけないよ」と言い続け、僕との関係を引き裂きました。
そして極めつけに、まだ幼かった次女と僕の関係を断ち切ったのです。「あの父親と会うと成長に悪影響が出る」というのが妻の言い分でした。
こんな罪深いことがあるだろうか…
僕は、自分の人間関係だけでなく、他者の関係をも断ち切っていく妻の生き方に、これ以上ついていくことはできないと思い、離婚調停を決意しました。
お互いが、自分らしく生きていくためには、別々の道を行くしかないと考えるに至ったのです。
妻が抜け出せない共依存
僕が調停を申し立てた時、妻は「離婚については一切話し合いに応じるつもりはない」という姿勢でした。
幼い娘と父親を引き離しておきながら、妻はあくまで「被害者は自分」と思い込んでいたのです。
妻から提出された主張書面には、「夫は発達障害・人格障害で家庭内で問題ばかり起こしていた」ということが書かれていました。
「娘と夫を会わせなかったのは正当であり、離婚を申し渡されるいわれはない」と妻は主張したのです。
妻が「発達障害・人格障害」という言葉を知ったのは、次女が生まれる少し前の、2010年代の初頭。ちょうどそういう概念が流行り始めた時期でした。
妻は結婚当初から、うつ症状や全身の痛みなどに悩まされていましたが、発達障害・人格障害の概念を知り、「自分の苦しみの原因は夫の性質にあったのだ」と思い込むようになったのです。
僕は、妻から「発達障害・人格障害」と繰り返し指摘されるようになり、精神的に追い詰められていきました。「自分は異常者なのだ」と自分を責めるようになり、多くの精神科・心療内科を受診しました。
でも、いま振り返ると、妻の主張は正しくなかったと思います。むしろ、その概念に囚われることで、問題の本質が覆い隠されてしまったように思うのです。
夫婦間の様々なエピソードは、僕だけが原因だったわけではなく、お互いの未熟さ、性格の違い、健康状態など、様々な要因が重なって起きたことでした。
妻自身の問題点もあったはずなのに、すべてを夫のせいにしたために、妻は自分の課題に向き合うことができなくなったのだと思います。
本来、夫婦とは、お互いの境界線をわきまえて、自分の課題と相手の課題を区別しなければなりません。自分の課題に責任をもって取り組みつつ、相手の課題には踏み込まないことが大切です。
僕と妻は、境界線を見失い、共依存の関係に陥っていたのだと思います。それを解消するには、夫婦関係を精算する必要があると考え、僕は離婚調停を決意しました。
しかし妻は、共依存の関係にしがみつき、「すべては夫が悪かったのだ」と言い続けることで、自分の正当性を保とうとしてるように、僕には見えるのです。
妻が離婚に応じない経済的な理由
妻が離婚に応じようとしないもう一つの大きいな理由に、経済的なものがあります。
妻には職歴がありません。学生時代に妊娠がわかり、決まっていた就職内定先を辞退して、僕の初任地についてきました。出産後に体調を崩し、うつ症状や全身の痛みなど、健康上の苦労が続きました。
長女が小学校を卒業し、子育てが一段落して、働きに出てもいい頃に、二人目の妊娠がわかりました。
その頃から、前述のように「発達障害・人格障害」と言うようになり、夫婦関係が悪化していきました。
単身赴任から5年が経過し、僕が離婚調停を申し立てても、妻は仕事をしようとはしませんでした。
「離婚なんて受け入れない。私を苦しめてきた夫には、これからも一生、私を経済的に支える義務がある」とでも考えているのかもしれません。
体調に自信がないのかもしれないし、職歴がないことで働く勇気を持てないのかもしれません。
それでも、自分が選んできた道です。これからの人生を、自分の力で切り開いていってもらいたいです。
妻は母親の葬儀に顔を出さなかった
僕と妻は価値観が違い過ぎる。それが僕が離婚を考えた理由であると述べてきました。
それを裏付けるような出来事がありました。つい最近、妻の母親が亡くなった時のエピソードです。
妻の母親は数年前に難病を患いました。絶縁状態になった娘との関係を修復したくて、僕に連絡をしてきました。でも妻は連絡を取ろうとしませんでした。
義母は長い闘病を経て、先月末に息を引き取りました。妻は、通夜にも葬儀にも顔を出しませんでした。義母はどれだけ無念だっただろうと思います。
妻は「自分は両親から愛されなかった」と思い込んでいました。でも、決してそんなことはありませんでした。
どんな親子にも確執はあるものです。でも、晩年に親が難病を患ったことを知れば、確執を乗り越えて、関係を取り戻そうとするものだと思います。
通夜にも葬儀にも行かなかった妻を見て、「僕はこの人とは一緒に生きていけない」と思わずにはいられませんでした。
妻がいつの日か、両親の愛情に気づいてくれることを、願うばかりです。
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