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10年間も秘密にしてきた次女の存在… 妻の反対を押し切って「孫の存在」を両親に告白

祖父母と孫

こんにちは。えいぷりおです。

2023年になって早くも1ヶ月が経とうとしています。去年の後半から精神的にちょっと参ってしまい、ブログをまったく更新できませんでした。

年をまたいでしまいましたが、改めて去年を振り返り、自分にとって大事な出来事を書き留めておこうと思います。

去年の出来事の中で大きかったのは、「10年間も秘密にしてきた次女の存在を、妻の反対を押し切って両親に告白した」ことです。

なぜ子供の誕生という重大事を秘密にしてきたのか… そして、それをなぜ伝える決断をしたのか…

その経緯を書き留めておきます。

【離婚・子供との面会に向けて動き出す】

  1. 弁護士を立てて離婚協議へ…
  2. 次女の存在を両親に伝えた 今ここ
  3. 小学生の娘と5年ぶりの再会

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子供の誕生を隠そうとした妻の理由

次女を妊娠・出産したことを両親に言いたくないと主張したのは妻でした。

その理由は、妻が子供の頃から抱いていた「両親は自分を愛してくれなかった」という思い込みにあります。

妻は3人兄妹の真ん中です。長男として大切にされた兄、器用に立ち回る妹と比較して「自分はいつも両親から疎まれる存在だった」と感じていたそうです。

父親は自己中心的でイライラしていることが多く、母親はそんな夫の目にいつも怯えてネガティブなオーラを放っていたといいます。

「父親は自分の思いを理解してくれない。母親は鬱屈した気持ちをいつも自分にぶつけてくる…」

子供時代の妻はそんなふうに感じて、傷ついてきたのでしょう。

正直僕から見ると、義両親がそこまで悪い人たちとは思えないのですが、妻の気持ちは妻にしかわかりません。

義父は、あまり強くない体に鞭打つように働き、コツコツ節約しながらお金を貯めて、3人の子供を大学までやった努力家でもあります。

義母もまた、懸命に子供たちに愛情を注いできたのだと思います。

僕たちが結婚してから最初の10年ほどは、まだ両親との交流はありました。実家を訪れることも度々あり、初孫だった長女をよく世話してもらいました。

ところが、次女を妊娠する数年前から、妻と両親の間に亀裂が入りはじめます。

そのきっかけのひとつが、当時よく言われるようになっていた毒親という言葉でした。毒親とは、子供の人生に悪影響を与えるような親を指す概念です。

「自分の親は毒親だった。自分が苦しい人生を歩んでいるのは両親のせいだったのだ」

妻は子供の頃の記憶を重ね合わせて、そんな思いを強く抱くようになったのです。

妻は結婚してから長くうつ症状に苦しんできました。その苦しみが「毒親」という言葉で説明できることに気づいたのだと思います。

「子供が生まれることを両親に伝えれば、また彼らは自分の人生を脅かそうとするに違いない…」

次女を妊娠したとき妻はそう考え、その事実を隠すことを決めます。それはすなわち、両親との絶縁を意味しました。

僕の両親にも隠すことに

当然のことながら、僕の両親にも次女の存在は隠すことになりました。これもまた、妻の強い意向でした。

妻にとって僕の両親は自分をいじめてきた敵でした。

僕と妻はいわゆるできちゃった結婚でした。しかもそれが卒業間際の学生時代だったので、僕の母親は最初パニックになりました。

そこから結婚に至るまで、思い出すのもつらくなるような修羅場が何度もあり、妻はたくさん傷ついたと思います。

結婚が正式に決まってからは、僕の両親も気持ちを切り替えて応援してくれるようになりましたが、妻の心の傷は癒えることはありませんでした。

その後、妻は「毒親」の他に、重要なキーワードを発見します。それは発達障害・人格障害でした。

その言葉のターゲットとなったのは、まず僕でした。

「自分がずっとつらかったのは、夫が発達障害・人格障害だったせいだ」

その矛先は僕の両親にも及びました。

「この夫を育てた両親もまた発達障害・人格障害の異常者。彼らに大切な子供のことを教えてやるもんか」

妻は強い恨みの感情とともに、そう決意したのです。

僕が妻に逆らえなかった理由「共依存」

常識的に考えれば、子供(孫)の誕生を、両親(祖父母)に伝えないなんて、あってはならないことです。

僕はちゃんと伝えたかった。けれど、妻に逆らうことができませんでした。

なぜか。妻と僕の間には共依存という、一種の呪いがかかっていたからです。

共依存とは、互いに「相手から依存されること」に自らの存在価値を見出している、がんじがらめの関係性と言ったらいいでしょうか。

僕と妻を例に挙げると、

・僕は病弱な妻をサポートしているふりをしながら、実は妻が弱いまま僕を頼ってくれることを望んでいて…

・妻は弱い自分が夫を頼っているふりをしながら、実は「弱者」を演じることで夫を支配下に置いている…

そんな倒錯した関係性が、20年以上の夫婦生活の中で築き上げられてきたのです。

共依存がこじれると、ふたりの境界線があやふやになっていきます。僕はいつしか、妻の思考を自分の思考と錯覚するようになっていきました。

本当の意味で健全な夫婦関係であるためには、互いに精神的に自立していることが必須です。僕と妻の関係は、共依存の底なし沼に引きずり込まれて、自立を完全に失っていたのです。

妻が妊娠を機に両親への憎しみを募らせて「次女の存在を隠す」と言い出したとき、僕は「ちゃんと伝えようよ」と説得するどころか、自ら妻の代弁者となってしまったのです。

なぜ10年越しで伝えようと考えたのか

僕が妻との共依存から脱却できたのは、4年以上になる単身赴任がきっかけでした。

その間に、帰宅を拒まれるようになり、次女と会うことも拒否されるようになりました。

単身赴任が始まったとき、次女は小学1年生でした。それが、会えないうちに小学5年生になってしまいました。

そういう状況に追い込まれて、ようやく思い知ったのです。妻と僕はまったく別の人格なのだということに。

僕は、自分が正しいと思うことを大切にしようと決意しました。最初に考えたのが、ずっと隠してきた次女の存在を10年越しで伝えることでした。

孫の存在を知った両親は涙を流した

僕は仕事の休みを利用して、まず妻の実家に行きました。前述のように妻は両親と絶縁していましたが、代わりに僕が連絡の窓口をしていました。

義両親と対面し、少し近況報告をしたあと、僕は勇気を出して伝えました。実は10歳になる2人目の孫がいること、妻の了解を得ずに僕の判断で伝えに来たことを。

彼らは衝撃を受けていました。言葉も出てこないくらいに。

僕は、次女が生まれてから小学1年生までの写真を見せました。今はもう小学5年生だけど、単身赴任してから4年間も会わせてもらえず、写真も持っていないことも言いました。

彼らは会ったことのない幼い孫の姿を見て、涙を流しました。写真をなでながら、「かわいい子だね」とつぶやきました。

そして、「私達は年だから、もう会えないかもしれないけど、この子のためにできることをしてやりたい」と言うのです。

この言葉を、妻にも聞かせてやりたいと思いました。一方的に絶縁して、こんなに大切なことを隠し続けてきたことが、どれほど罪深いことなのか、知ってほしいと。

その後、僕の両親にも伝えに行きました。彼らの反応は、妻の両親とほとんど同じでした。僕の母親は、しばらくショックで眠れない日が続いたといいます。

僕と妻は決定的に価値観が違う

妻の意向に逆らって、了解も得ずに、僕は行動しました。そうすることによって、改めて僕と妻は、決定的に価値観が違うのだと痛感しました。

妻は恨みや不安を原動力に、自分は被害者で相手は加害者であるというストーリーの中で生きている。そして自分を虐げる者たちとの関係を断ち切っていく。

僕はどう生きていきたいのか… 過去への恨みや未来への不安ではなく、今この瞬間にフォーカスして生きたい。人の悪いところよりも素敵なところを見て生きたい。隠し事なくオープンに生きたい… そんなふうに思いました。

僕は妻の生き方を否定するつもりはありません。彼女の生き方は彼女自身が決めることだし、不安や怖れは、危機察知能力や共感力の高さとも言えるわけで、そういう点を僕は尊敬もしているのです。

ただ、この違いは、一緒に生きていくには、決定的な溝になってしまいます。お互いを否定し合うことになってしまう。そうならないためには、やはり離婚するしかないんではないかと思うようになりました。

そして僕は弁護士を立てて離婚と次女との面会を協議する決意をしたのです。

両親に次女の存在を伝えるという行動は、4年以上ずっと膠着状態にあった夫婦関係を動かすアクションとなりました。

【離婚・子供との面会に向けて動き出す】

  1. 弁護士を立てて離婚協議へ…
  2. 次女の存在を両親に伝えた 今ここ
  3. 小学生の娘と5年ぶりの再会

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2 COMMENTS

トラ

こんにちは
このブログのことは、全て本当なのでしょうか。
そうだとすると、えいぷりおさんは、相当悩んでおられることでしょう。
文章を読むに、あなたは責任感が強く、正しい判断が出来る方のように思います。
あなたが安らかな日々を送れる日がくることを祈っております。

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えいぷりお

トラさん、コメントありがとうございます。

ブログに書いていることは、すべて事実です。家族とは本当に難しいものですね。責任感を持って、正しいと思える判断をしたとしても、それが家族を幸せにできるとは限らない。ずっと出口のない悩みの中をさまよってきました。

トラさんの励まし、とてもうれしいです。自分自身はもちろんのこと、家族ひとりひとりが安らかな日々を送れる日がくるよう、頑張っていきます。

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