こんにちは。えいぷりおです。
2019年7月に出版された百田尚樹さんの小説『夏の騎士』を読みました。
落ちこぼれの少年たちが、ひと夏の経験を通じて「勇気」をつかみ取っていく爽やかな成長物語です。
思春期の子供たちに読んでもらいたいのはもちろんですが、僕たち大人にも大切なことを思い出させてくれる作品です。
この記事では、ネタバレにならない範囲で、この作品の魅力について語ります。
『夏の騎士』のあらすじ
『夏の騎士』2019年7月18日に書店に並び、僕も早々に購入して読みました。
ずっと感想を書く時間がなく、9月になってしまいましたが、今も心の中に爽やかな感動が残っています。
『夏の騎士』
著者 百田尚樹
発行 新潮社(2019年7月)
えいぷりお感激度 ★★★★☆(星4つ)
あの夏、ぼくは「勇気」を手に入れた。稀代のストーリーテラーによる約3年ぶり、渾身の長編小説。人生で最も大切なもの。それは、勇気だ。ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、31年前の出来事のおかげかもしれない―。昭和最後の夏、ぼくは仲の良い友人2人と騎士団を結成する。待ち受けていたのは、謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。新たなる感動を呼び起こす百田版「スタンド・バイ・ミー」、遂に刊行。(「BOOK」データベースから引用)
昭和に子供時代を過ごした最後の世代
『夏の騎士』の主人公たちは、昭和63年(1988年)に小学校最後の夏休みを過ごした世代です。
2019年現在、彼らは43歳。僕とほぼ同世代です。自分自身と重ね合わせながら読みました。
僕たちが小学校時代を過ごした昭和の最後は、携帯電話など誰も持っていない時代。テレビは14インチのブラウン管が主流で、ファミコンが流行ってはいましたが、まだ多くの子供たちは放課後には外で駆け回って遊んでいました。
物語の主人公たちと同じように、僕も友達と一緒に秘密基地を作った思い出があります。大人が足を踏み入れない領域に、子供たちは、自分たちだけの世界を持っていました。
僕は、関西の地方都市で育ちましたが、まだ中学校受験は珍しく、9割以上の同級生がそのまま地元の公立中学校に進学していました。
そんな時代に、勉強も運動もできない落ちこぼれの少年たちが過ごした小学校最後の夏休み… それが『夏の騎士』の舞台です。
自分に恥じない自分であるために
落ちこぼれの3人の少年たちは、成長を誓って「騎士団」を結成。騎士道精神にのっとって、クラスのマドンナ的な女子を「忠誠を捧げるレディ」として崇めます。
これは彼らにとって「自分に恥じない自分である」ための誓いだったのだと僕は思います。
崇拝する対象を心の中に持つことによって、自らを律していく。
ズルいことをしていないか? 卑怯なことをしていないか? 騎士道精神に反していないか?
少年たちは騎士団を結成することで、たとえ落ちこぼれであっても、正しい人間であろうとしたのです。
現代は「上か下か」「損か得か」「勝ちか負けか」そんな尺度ばかりが評価の基準になっていて、正しくあろうとする精神が失われています。
子供のころから受験戦争に放り込まれ、「勝ち組」になることが人生の目標だと大人から教え込まれるうちに、人として最も大切なことが切り捨てられています。
僕はそんな価値観で育ってしまった一人です。
だから、「自分に恥じない自分であろう」と騎士団を結成した少年たちが、僕にはとても眩しく見えました。
先入観なく人を見る
この物語のキーパーソンは、クラスの嫌われ者になっていた一人の女子生徒です。家は貧しく、母親は精神病を患い、ショートカットで「おとこおんな」と呼ばれて蔑まれています。
しかし、騎士団の3人は先入観なく彼女と接します。そして、彼女の聡明さ、優しさ、美しさに気付いていきます。
なぜ少年たちは、孤立していた彼女を先入観なく見ることができたのでしょうか。
それは、彼らが「上下」で人を見ようとしていなかったからだと僕は思います。
クラスのほとんどの生徒は、自分が「勝ち組(=上の立場)」でいるために、この女子に「嫌われ者(=下の立場)」のレッテルを貼って貶めようとします。
だけど、少年たちだけは、自分たちの弱さを自覚していたから、上下のフィルターなしで彼女の本当の姿を見ることができたのです。
僕たち大人は、子供たちよりもっと根深い先入観や偏見を持っていますよね。
心の荒みきった大人こそ、少年たちと女子生徒が真の友情を育んでいく姿から、大切なことを学ぶべきでしょう。
自分のベストを尽くす
落ちこぼれだった少年たちは、騎士団を結成することで変わっていきます。
全国模試のために初めて本気で勉強するシーン、そして文化祭の演劇で主役に挑戦するシーンには、胸が熱くなりました。
誰からバカにされても、自らを卑下したり恥じたりすることなく、彼らがひたむきに努力を続けられたのはなぜか。
それは、自分のベストを尽くすことの大切さに気付いたからだと思います。
僕はこの年になっても、まだその境地に達することができません。常に人の視線を気にして、他人からの評価で自分の価値を推し量ろうとしてしまいます。
少年たちが僕のような卑屈な人間にならずに済んだのは、なぜでしょうか。底辺にいた彼らが「上」を目指そうとして「上下」の価値観にハマってしまう危険性は十分にあったはずです。
でも彼らは、思春期の大切な時期に「自分のベストを尽くせば、上も下も関係ない」という大切なことに気付き、踏みとどまったのです。
それができたのは、彼らが「真の友情」を育み、互いの価値を認め合い励まし合ったからだと僕は思います。
僕は勇気を取り戻せるだろうか
僕は少年時代、自分の弱さを直視できませんでした。ごまかし、取り繕い、偽りの「自信」で、かっこ悪い自分を覆い隠そうとしました。
成績はよかったし、学歴も就職も、表面的には「勝ち組」の人生を歩んできました。
でも、いま立ち止まってみると、自分の中身が空っぽなことに愕然とします。自分の人生を生きている実感が希薄で、何をやっても不全感に苛まれます。
妻との関係もうまくいかず、家庭内別居の状態に陥ってしまいました。
もう一度、小学校6年生のあの夏に戻りたい… 『夏の騎士』を読みながら、そう思わずにいられませんでした。
あの頃の自分に、全力でこう伝えたいです。
「どんなにへなちょこでも、自分に誇りを持て!自分に恥じない自分であれ!勇気をもってお前のベストを尽くせば、それでいいんだ!」
40代になってしまった僕だけど、少年たちのようにやり直してみたい。『夏の騎士』は、そう思わせてくれる作品でした。
えいぷりお的まとめ
それにしても、この爽やかさはなんだろう。
昭和最後の夏の紺碧の空に一陣の風が吹き抜けるような、懐かしくも爽やかな読後感。
ラスト数ページで一気にすべての伏線が回収されていく驚異の構成は、さすが稀代のストーリーテラー百田尚樹さん。
ですが、そういうテクニカルなことがどうでもよくなるくらいに、『夏の騎士』の主人公たちが教えてくれたことは、僕の心に爽やかな余韻を残しました。