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【書評・本の感想】百田尚樹著『フォルトゥナの瞳』 抗えない運命に直面したとき僕たちはー

フォルトゥナの瞳

こんにちは。えいぷりおです。

百田尚樹さんの小説フォルトゥナの瞳を読みました。

「他人の死の運命」を視る力を手に入れてしまった青年の苦悩を通じて、運命とは何かを問いかける物語です。

『フォルトゥナの瞳』のあらすじ

『フォルトゥナの瞳』は、文庫本で500ページ近い長編です。

ひとりの青年の「目」を通して、死とは? 運命とは? 自己犠牲とは? 愛とは?…と様々なことを考えさせられる作品です。

『フォルトゥナの瞳』

 

著者 百田尚樹
発行 新潮社(2014年9月)
えいぷりお感激度 ★★★☆☆(星3つ)

 

幼い頃に家族を火事で失い天涯孤独の身となった木山慎一郎は友人も恋人もなく、自動車塗装工として黙々と働くだけの日々を送っていた。だが突然「他人の死の運命」を視る力を手に入れ、生活は一変する。はじめて女性と愛し合うことを知った慎一郎の「死の迫る人を救いたい」という思いは、無情にも彼を窮地へと追いやり…。生死を賭けた衝撃のラストに心震える、愛と運命の物語。(文庫本の裏表紙から引用)

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ネタバレ厳禁のラストがすべて

「死を目前にした人間が透けて見える」という不思議な力を手に入れてしまった主人公。僕ははじめ、この非現実的な設定になじめず、なかなか感情移入できませんでした。

ですが、この設定だからこそ「人の運命は変えられるのか?」という難しい問いに、独自のアプローチで迫る作品となっています。

事故で死ぬはずだった人が、小さなきっかけによって死を免れる… 人の運命は無数の分岐点でできているということが、主人公・木山慎一郎の目を通して明らかにされていきます。

この作品には様々な人物の運命が描かれますが、最大の見せ場はラストのわずか数ページに凝縮されています。

「死の迫る人を救いたい」という慎一郎の願いはかなえられるのか…? 最後の最後に一気にクライマックスを築き上げる構成の妙は、さすが稀代のストーリーテラー百田尚樹さんです。

そんなわけで、ラスト(特にエピローグの2ページ半)は、ネタバレ厳禁! これを知ってしまったら、この小説の面白さはほとんど失われてしまうと言っても過言ではありません。何の予備知識も持たずに読んでもらいたいです。

主人公 木山慎一郎の人物像

主人公・木山慎一郎は幼い頃に家族を火事で亡くし、孤独な人生を歩んできた青年です。つらい境遇にもかかわらず、世を恨んだり道を外れたりすることなく、欲を持たずに淡々と生きてきました。

どうしたら彼のように透明な心でいられるのだろう…

車を磨くこと以外に、自分の生きた証を残そうともしない。人との関わりを避けながら、実は自分の命よりも人を救おうとする。

幼い頃に心に深い傷を負った彼は、「自分には生きる価値がない」と諦めているのかもしれません。それが彼を神々しいほど透明な存在にしているように感じました。

そんな彼が初めて恋をして「生きたい」と強く願う。透明だった彼が自らの肉体を意識したとき、反転するように世界が透明になっていく… なんて悲しい物語なのだろう。

人を愛することで彼が初めて苦悩する姿は、読者の心を激しく揺さぶります。

1日に9000回の選択

慎一郎が父親のように慕う自動車塗装工場の社長のセリフに、こんな言葉があります。

「人間は朝起きてから寝るまでの間に九千回も選択をしているらしいぞ」

僕たちは無数の選択をできる立場にいます。自分ではどうにもできない運命もあるだろうけど、選べるチャンスも与えられているのです。

そのことを忘れてはいけないと思いました。

ひとつひとつの場面に向き合って、責任を持って選び取っていけば、それは紛れもない「自分の人生」です。誰のせいでもない、自分でつかみ取った人生となるでしょう。

運命の女神フォルトゥーナとは

フォルトゥナの肖像画

小説のタイトルにある「フォルトゥナ」とは、ローマ神話に伝えられる運命の女神フォルトゥーナのことです。

Wikipediaには次のように書かれています。

運命の車輪を司り、人々の運命を決めるという。英語の「Fortune」の語源とされ、ギリシア神話ではテュケー (Tyche) と呼ばれる。

運命を操るための舵を携えており、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体に乗り、幸運の逃げやすさを象徴する羽根の生えた靴を履き、幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っている。また、チャンスは後からでは掴めないということを表しているために、フォルトゥーナには後ろ髪がなく前髪しかないとされているが、最近ではすべての髪を前で束ねているイメージに変わっている。

フォルトゥーナは幸運の女神とされている。

タロットの運命の輪はフォルトゥーナがモデルとされている。

運命は定まらず不安定で、幸運は逃げやすくて満ちることがなく、チャンスは後からつかむことができない… それでもフォルトゥーナは運命を操る舵を携えている。

僕たちにも、運命を操る舵が与えられているのではないかと僕は思います。

木山慎一郎のような「目」は持っていなくても、先の見えない荒波を漕いでいくのは僕たち自身なのです。

えいぷりお的まとめ

避けられない過酷な運命というものもあります。自然災害や交通事故、不治の病などに、いつ直面するかは誰にも分かりません。

僕たちにできるのは、どんな運命に出会っても「これは自分が選んだ人生だ」と胸を張れる生き方をすることだと思います。

小説『フォルトゥナの瞳』は、運命とは自分の手でつかみ取るものなのだということを、僕に教えてくれました。

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