初めての方はこちらへ! 記事のご案内


【奈良】東大寺二月堂の修二会(お水取り)に参拝 ー幽玄な祈りの儀式に触れてー

こんにちは。えいぷりおです。

2019年3月14日、奈良の東大寺、二月堂で14日間に渡って行われる、お水取り(修二会)という仏教儀式の最終日に立ち会いました。

夜通し行われる僧侶たちの祈りは幽玄で、壮大なオペラを観ているかのように音楽的でした。

この記事では、幸運にもお堂の中で接することができた僕の体験をつづり、1300年近くも絶えることなく続いてきた儀式の魅力をお伝えします。

東大寺 二月堂のお水取り(修二会)とは

東大寺 二月堂のお水取り=修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752年)に創始された仏教儀式です。

僕が行った平成31年(2019年)は、なんと1268回目! 火災でお堂が焼け落ちたときも、大東亜戦争の最中も、途切れることなく続けられてきました。

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、我々が日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味しています。

ご本尊の十一面観世音菩薩像は、扉のない逗子の中に安置され、何人たりとも拝むことが許されない「絶対秘仏」です。

3月1日から2週間にわたって行われますが、もともとは旧暦の2月1日から行われていたので、「二月に修する法会」という意味をこめて「修二会(しゅにえ)」と呼ばれるようになりました。二月堂の名前もこれに由来しています。

「お水取り」という呼称は、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えするお香水(おこうずい)を汲み上げる儀式が行われるところからきています。

有名な初夜上堂のお松明

二月堂のお水取りで、毎年ニュースでも取り上げられてよく知られているのは、お松明(おたいまつ)です。

18時過ぎに到着すると、すでに人だかりが。

日が暮れると、11人の練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、巨大な松明が登廊を上がってきます。

通常は19時に上がり始めるのですが、僕が行った3月14日は18時半にスタート。最終日で夜中の行事が多いため、少し早めに始まるのです。

10本の松明が、間を置かずに次々に上がってきます。前を行く僧侶を追いかけるように、燃え盛る次の松明が続くことから「尻焦がし」と呼ばれます。

お堂の舞台に松明がずらりと並び、一斉に回されて火の粉が滝のように舞い降りてくる様は壮観でした。

本当の祈りの儀式はお松明の後に始まる

11人の練行衆が上堂し、お松明の火が消されると、多くの人は去っていきます。

ですが、実はここからが修二会の始まりです。

僕は友人の計らいで、お堂の中に入るチケットを入手することができ、この後の祈りの儀式にすべて立ち会うことができました。

すべての行法は、「悔過(けか)」と呼ばれ、過ちを悔いるための祈りです。

最終日は夜通し儀式が続き、練行衆が下堂するのは、夜明け前の午前4時過ぎです。

二月堂は三重構造になっている

儀式の感想を書く前に、二月堂の構造について触れておきます。

二月堂は三重構造になっていて、内側から「内陣」「外陣」「局(つぼね)」と分かれています。

内陣

儀式はお堂の中心にある内陣で行われます。

内陣の中の様子は、はっきりと見ることはできません。三方を格子で囲われ、西側の礼堂に面した口は紗幕で覆われています。

まさしく聖域で、修行を積んだ限られた僧侶しか入ることが許されないそうです。

外陣

内陣の周囲を外陣が取り囲みます。

僕の持っていたチケットで入ることができるのが、上の図の青線で囲まれた範囲です。

西側の大きな空間は礼堂と呼ばれ、儀式の一部は、僧侶がここまで出てきて行われます。

ちなみに、外陣に入ることができるのは男性のみで、女人禁制となっています。

外陣の周囲には、東西南北に局(つぼね)という空間があります。

修二会の期間は局が開放されます。チケットがなくても入ることができ、女性も入場可能です。

局と外陣の間は格子で隔てられていますが、格子越しに儀式の様子をしっかりと感じ取ることができます。

壮大なオペラのような仏教儀式

19時ごろから始まった儀式は、途中2回の短い休憩をはさんで、夜中0時過ぎまで5時間以上も続きます。

ワーグナーのオペラのような規模ですが、内容も極めて音楽的でした。僕は仏教に詳しくないので、音楽的な面に注目して感想を述べたいと思います。

お経がラップ?ロック?

儀式は読経を軸に進行します。

お経と言うと平坦で退屈なイメージがあるかもしれませんが、ここで11人の練行衆によって読まれるお経はまったく趣が異なります。

すべての言葉にメロディがあり、リズムもテンポも変化に富んでいて、単調な時間が一瞬もありません。

朗々としたソロに聴き惚れていると、いつしか見事な斉唱となり、どんどん速度を上げていきながら、圧倒的なグルーヴを築き上げていったりします。

驚異的なスピードで読まれるシーンなど、現代のラップを凌駕するインパクトです。

クィーンを彷彿とさせるソロと斉唱のコール・アンド・レスポンスも。ロックのライブような興奮をもたらしつつも、その掛け合いはより複雑で深みがあります。

めくるめく多彩な打楽器

声の力に加えて、木沓(きぐつ)で踏み鳴らされる迫力ある音響に驚かされました。床を伝ってお堂全体を振動させる乾いた響きが、聴く者を包み込んでトランス状態に導きます。

木沓の踏み方も単調ではなく、絶妙にコントロールされています。

儀式の中に「走り」というシーンがあるのですが、最初は強かった木沓の音が、内陣を何周も回るうちに少しずつ弱まり、いつしか消えていくような演出がなされていました。

他にも、鈴のような打楽器が音楽的な変化を与えていきます。

これだけ複雑精緻な音楽は、どのように伝承されてきたのでしょうか。興味が尽きません。

ろうそくが照らし出す幽玄の世界

儀式は内陣で行われ、外陣からは見ることができません。ろうそくに照らされた僧侶の影が、紗幕に映し出されるのみです。

礼堂の空間にも、ろうそくの明かりがわずかにあるばかり。お堂の天井は深い闇の中に溶けていくようで、見上げていると吸い込まれそうになります。

現実との境界が曖昧な幽玄の世界に、音だけが響き渡ります。

現代音楽のような法螺貝の和声

声と打音の他に、大きな感銘を受けたのが、法螺貝(ほらがい)の音でした。

4~5人で吹き鳴らされた法螺貝の音は、信じられないような美しい不協和音を作り出します。

音程がぶつかり合って、うなりが生じるとき、ろうそくの炎が反応して、震えるように揺れ動くのでした。

1300年も前から日本という島国で、このような美の極致とも言える調べが奏でられてきたことに思いを馳せました。

強烈なインパクト「五体投地」

五体投地(ごたいとうち)という儀式は、僧侶が内陣から礼堂に出てきて行われます。

過ちを悔いる悔過(けか)の典型的な表現として、自らの体を地面に打ち付けます。

五体板という長い板の上に、僧侶が飛び上がって落ちると、板が床を打つ音が響きます。

僕は目の前でこれを体感。すさまじい打音がダイレクトに体の芯を震わせました。

同じような動作なのに、人によって響きがまったく違うのも興味深いことでした。この日、2人目の僧侶は、地面へのインパクトが素晴らしく、「バチンッ!!」という衝撃的な音が堂内に響きわたりました。

圧巻の火祭り「達陀(だったん)」

儀式の終盤に差し掛かると、影の世界だった堂内に強烈な炎が燃え盛ります。

達陀(だったん)と呼ばれる謎に満ちた火祭りです。

それまで内陣と礼堂を隔てていた紗幕が絞り上げられ、内陣の様子があらわになります。

不思議な頬かむりをつけた僧侶が、巨大な松明を持って内陣を一周し、炎を礼堂に差し出すように舞います。

火の粉が舞い散り、真っ赤な燃えさしが床に散乱し、堂内は煙に満ちて真っ赤に染まります。

燃えさしはすぐに掃き集められ、炎を灯し直した松明がふたたび内陣をめぐり、それが何度も繰り返されます。

最後には、先の燃え落ちた松明が、礼堂に向けて投げ放たれるのでした。

これが国宝の木造建築の中で行われるのですから、唖然とするしかありませんでした。

この圧巻の体験をどう表現すればいいのでしょうか…!

( 達陀は3月12~14日のみ行われます)

芸能ではなく祈りの儀式

興奮が断ち切られるように、達陀が終わると参拝客は外陣から出るよう促されます。

僕は友人に誘われて、東の局に入ってみました。

局の中には一切の明かりがなく、格子からの漏れ明かりのみ。そこに多くの参拝者たちが静かに座していました。

格子の向こうでは、達陀を終えた練行衆が、「名残(なごり)の晨朝(じんちょう)」と呼ばれる最後の読経を行っています。

静かな祈りの歌。過ちを悔い、浄化されていく様を表現しているのでしょうか。

格子ごしに聴いていて強く感じたのは「これは芸能ではなく祈りなのだ」ということ。

芸能とは人に見せるためのもの。

対して、祈りとは誰かに見せるためではなく、神に捧げるためのもの。

11人の練行衆が行っていたのは、ひたすらに祈りだったのです。

これだけ有名な行事になると、一種の観光資源だと勘違いしてしまいがちですが、それは間違いです。

僕たちは、「観光」や「見物」のつもりで修二会に立ち会ってはいけません。神聖な祈りを共有させていただく謙虚な気持ちで立ち会わなければなりません。

神仏習合の極地 神を迎える僧侶たち

仏教儀式なのに「神」?と思うかもしれませんが、これが神仏習合の極地とも言える修二会の姿です。

練行衆は行法にあたって、まず仏前に神々を呼び出し、神々の前で過ちを悔いるのです。

最終日のこの日は、深夜3時半を過ぎたころ、練行衆は二月堂の周りにある3つの神社を巡拝し、神々を見送ります。

その後、明け方前の4時ごろ、練行衆が下堂して、この日の法要は終わります。

僕は最後まで立ち会うことができました。忘れられない体験となりました。

最高にうまい食堂!うどんと助六寿司

19時~24時半くらいまでの5時間以上の儀式の合間に、2回ほど短い休憩があります。

二月堂のすぐ北側にある、普段は休憩所になっている建物が、修二会の最後の3日間(3月12~14日)だけは食堂になります。

僕がいただいたのは、きつねうどんと助六寿司。

きつねうどんには、おいしい薄揚げとしいたけ、とろろ昆布が入っていて、お出汁がきいて本当においしかったです。冷え切った体に染み渡りました。助六寿司も最高でした。

他のメニューはこんな感じでした。

【お水取りうどんすし食事処】

  • きつねうどん 500円
  • 山菜うどん 500円
  • 助六寿司 500円
  • ぜんざい 500円
  • あまざけ 300円
  • 缶コーヒー 100円

お水取り参拝の注意点とコツ

謙虚な気持ちで参拝する

本文中でも触れましたが、この儀式は観光や見物のつもりで参加すべきものではありません。

1300年近くも途絶えることなく続けられてきた祈りの儀式であることを理解して、謙虚な気持ちで参拝することが、何より重要です。

寒さ対策

僕が行った2019年3月14日は、異様な寒さで大変でした。おそらく気温は0度に近かったのではないでしょうか。

参拝される方は、天気予報をよく調べ、万全の寒さ対策をしてください。

例えば、ユニクロのウルトラライトダウンジャケットを下に着て、上にさらにダウンのロングコートを着るくらいの厚着が必要かもしれません。

堂内は土足禁止ですから、靴下の重ね履きは必須です。

煙の対策

最後の3日間に参拝する方は、達陀(だったん)という火祭りが行われます。

堂内が煙で充満するので、喘息など気管の弱い方は注意が必要です。

そうでなくても、ろうそくのすすで服や体が黒くなる場合があるので、白い洋服などは汚れるリスクがあります。

汚れても大丈夫な服装で、マスクを着用するなど、対策をしてください。

えいぷりお的まとめ

1300年近くも途絶えることなく続いてきた宗教儀式は、世界的に極めて貴重なものです。

それが、これほどまでに音楽的で、まるで前衛芸術のような趣さえ持っていることに、僕は衝撃を受けました。

これから先、何百年、何千年と続いていくよう、僕たち一人ひとりが日本人としての誇りを持って生きていくことが大切だと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください