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【本の感想】青山繁晴著『ぼくらの死生観 -英霊の渇く島に問う』 硫黄島の真実を知ってほしい

こんにちは! えいぷりおです。

戦後70年以上が経ち、戦争を知る世代から直接お話を聞くことができなくなりつつあります。

それに伴って、僕たち日本人がなぜ今こうして生きていられるのかということを、考えることも少なくなっている気がします。

そんな僕たちに、祖先への感謝の気持ちを思い出させてくれるのが、青山繁晴(あおやま・しげはる)さんの著書ぼくらの死生観 -英霊の渇く島に問うです。

今日は、この本を読んで僕が感じたことを書きたいと思います。

僕の祖父は軍人だった

青山さんの本について書く前に、僕の個人的なことに少し触れておきます。

僕の祖父は軍人でした。

海軍経理学校を卒業。大東亜戦争(第二次世界大戦)では、南洋の海戦に従軍。目の前で仲間の船が撃沈されるのを目撃したといいます。

戦後はGHQによって公職追放。民間企業に職を得て、3人の子供を育てました。

多くを語りませんでしたが、戦後の日本の姿を、忸怩(じくじ)たる思いで見ているのが、幼い僕にも伝わってきました。

「日本がすべて悪かった」という自虐史観の洗脳教育によって、大東亜戦争への正しい理解が妨げられ、日本人から国家観というものが失われてしまったことを、悔しい思いで見ていたに違いありません

祖父は、数年前に他界しました。僕の中には後悔の念が残っています。

もっと話を聞いておけばよかった…

国を守るために戦った日本人の気概に、もっと触れておけばよかった…

祖父の経験を聞くことは、もうできません。

そんな僕にとって、青山繁晴さんの『ぼくらの死生観』は、大東亜戦争を戦った軍人たちの真実の思いを伝えてくれる、貴重な本となりました。

僕が青山繁晴さんに敬意を抱く理由

青山繁晴さんをご存じでしょうか。

知らない方のために、著書の裏表紙にある略歴を引用しておきます。

青山繁晴
◎あおやま しげはる

作家・参議院議員。1952(昭和27)年、神戸市生まれ。慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒業。共同通信記者、三菱総合研究所研究員を経て、2002(平成14)年、株式会社独立総合研究所を創立し、代表取締役社長・兼・首席研究員に就任。2016(平成28)年、独立総合研究所を退き、参議院議員に当選、現職。著書に『ぼくらの祖国』『壊れた地球儀の直し方』(扶桑社)、『青山繁晴の「逆転」ガイド ハワイ真珠湾の巻』(ワニ・プラス)、『平成紀』(幻冬舎文庫)など。

僕の心に青山繁晴さんの存在が強烈に焼き付いたのは、FNNスーパーニュースアンカーという番組でした。

水曜日のレギュラー・コメンテーターを務めていた青山さんは、2007年5月23日の放送で「在ペルー日本大使公邸占拠事件(1996年)」を取り上げました。

事件当時、共同通信の記者として4ヶ月間も現地で取材していた青山さんが、この事件の真相を語った伝説的な放送です。

これは、絶対に見ていただきたい。あなたは何を感じるでしょうか。

全身全霊をかけて真実を伝えようとする凄まじいまでの使命感。

現場で膨大な数の関係者に食い込んで取材してきた執念。

意見の違う人とも腹を割って対話を重ねるフェアな姿勢。

そして、社会に蔓延する同調圧力に屈せず、発言を続ける勇気。

この特集のラストで、青山さんは、貧困にあえぐペルーの少年を思って涙を流します。

「この人は信頼できる人だ」

僕は確信しました。そして、それは間違っていなかったと、今も思っています。

硫黄島の戦いとは

その青山さんが、参議院議員としての激務を遂行しながら、まさに命を削って書いたのが『ぼくらの死生観』です。

この本には、大東亜戦争(第二次世界大戦)で激戦が繰り広げられ、2万人の日本兵が殺された硫黄島(いおうとう)の戦いが詳細に書かれています。

これだけ聞くと「70年以上も前の過去の話」と思って、興味を持たない人もいるかもしれません。

でも、青山さんの本は、硫黄島の歴史を通じて、現代を生きる僕たちのあり方を問いかけているのです。

硫黄島とは、小笠原諸島の南端に位置する、東西8 km、南北4 kmの島です。

下の地図をスクロールしてみてください。硫黄島は東京都の島ですが、あまりの遠さに気が遠くなると思います。

硫黄島は戦後アメリカの施政権下に置かれた後、1968年に日本に返還されました。

しかし返還から50年経った今も、一般人は立ち入り禁止。島のいたるところに、1万柱を超える英霊のご遺骨が放置されたままになっています。

日本人にとって、ご遺骨は亡くなった方の魂そのものです。それを50年間も灼熱の孤島に置き去りにしてきたのは、なぜなのでしょうか。

青山繁晴さんの二度目の涙

先ほどご紹介した2007年放送の「アンカー」で、僕は初めて青山さんが涙を見ました。

そして、つい先日、僕は青山さんの二度目の涙を見たのです。

2018年9月24日放送の『虎ノ門ニュース』(DHCテレビ)で、硫黄島について触れたときでした。

こちらの動画も、絶対に見てもらいたいです。ちょうど硫黄島について話し始める1時間13分のところから再生されるようになっています。

貧困にあえぐペルーの少年に対しても、硫黄島の英霊に対しても、青山繁晴さんは、声なき人たちのために人生をかけて行動し、涙を流しています

「弱者の味方」を装って偉そうに大声を出している人はたくさんいるけれど、いったいどれだけの人が青山さんのように損得勘定抜きで使命のために身を投じているというのでしょうか。

僕自身、青山さんのような生き方は逆立ちしてもできません。でも、人生の見本として、青山さんに見られても恥ずかしくない生き方をしたいと思います。

僕たちが思い出さなければならないこと

硫黄島に英霊のご遺骨が置き去りにされてきたのは、僕たちが戦争世代を「悪者」として切り捨ててきたからです。

「日本人がすべて悪かった」という自虐史観を徹底的に教え込まれ、国家を語るだけで「右翼」と蔑まされるような社会を、僕たちは戦後70年以上かけて築き上げてきました。

僕の親しい友人にも、国防を話題にするだけで「お前は戦争がしたいのか」と目の色を変えるような人が、一人や二人ではありません。

国家を否定するに至った僕たち戦後世代は、次の世代に健全な社会を残していけるのでしょうか。

青山繁晴さんの国家観には、血が通っています。「ネトウヨ」などと呼ばれる薄っぺらい好戦的な人たちとは、土台が違います。

世界中の人たちと心を開いて対話を重ね、相手の国を尊重し、日本の素晴らしさと愚かさに思いを寄せてきた青山さん。

僕は心のどこかで、そんな青山さんを自分の祖父に重ねてきたような気がします。

えいぷりお的まとめ

戦後の日本社会には、国のために戦った世代に感謝するだけで、「戦争を賛美するのか!」と袋叩きにする凄まじい同調圧力があります。

そのような勢力は「平和」を声高に叫びながら、北朝鮮の拉致事件には決して言及しません。中国がチベットやウイグルで今この瞬間も行っている凄まじい民族弾圧についても絶対に何も言いません。

平和とは何なのでしょうか。

僕は、身勝手な「平和」を語りながら、祖父の世代を足蹴にする風潮には、学生時代から激しい違和感を抱いてきました。

青山繁晴さんの『ぼくらの死生観』には、国を、ふるさとを、家族を守るために戦い抜いて散っていった祖父たちの思いが宿っています

僕たちが受け取った平和を、次の世代に渡していくには、どうすればいいのか。

そのヒントが、この本には込められています。

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