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【京都】明治天皇の伏見桃山陵 心を浄化できる静かな聖地(昭憲皇太后の伏見桃山陵・桓武天皇の柏原陵も)

京都 伏見桃山陵の全景

こんにちは。えいぷりおです。

2022年のGWに、ずっと行きたかった明治天皇伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)を訪れました。

コロナ禍から2年が経ち、京都の観光地にも多くの人が戻ってきましたが、この御陵は人混みから隔絶された静かな聖地でした。

心を浄化できる、とてもいい時間を過ごすことができました。

伏見桃山陵とは

伏見桃山陵(ふしみのももやまもみささぎ)

 

第122代 明治天皇の御陵

陵形:上円下方墳

 

所在地:京都府京都市伏見区桃山町古城山

 

アクセス:
桃山駅(JR)から1キロ
桃山御陵前駅(近鉄)から1.5キロ
伏見桃山駅(京阪)から1.5キロ

僕は京都市営地下鉄東西線の六地蔵駅から

2022年のGW、僕は京都市京セラ美術館でポンペイ展を楽しんでから、ずっと訪れたかった伏見桃山陵に向かいました。

「ポンペイ展」の感想はこちらの記事へ

位置関係から、京都市営地下鉄東西線を利用することにして、ちょっと距離はあるのですが、終点の六地蔵駅から歩くことにしました。

徒歩25分ほど。まだ5月ですが、最高気温28度だったこの日、リュックを背負った背中は汗でびっしょり。いい運動になりました。

▼敷地に足を踏み入れると、最初に出迎えてくれるのが、この大きな樹。木漏れ日を見上げるだけで、神聖な気持ちになります。

京都 伏見桃山陵の入り口

▼少し進むと視界が開けて、天まで続くような一直線の階段が現れます。

京都 伏見桃山陵の大階段

一歩一歩、踏みしめながら登ります。結構たいへん。数えてみたら231段ありました。

▼振り返ると、眼下に広々とした景色が広がります。

京都 伏見桃山陵の大階段を登った景色

▼そして前方に、第122代 明治天皇(1852~1912)の御陵が姿を現します。250年続いた江戸時代から一気に近代化していった激動の明治時代。その精神的な支柱として国民から尊敬された名君です。

京都 伏見桃山陵の全景

3つの鳥居の向こうに見える御陵に威圧感はなく、自然に溶け込むように静かに佇んでいました。

上円下方墳という陵形は、下段が方形、上段が円形の二段で構成される極めて稀な形で、過去のものには6例しか発見されていないそうです。

▼近づいて参拝。「この日本国をお守りください…」と祈りを捧げました。

京都 伏見桃山陵の近景

明治天皇の皇后、昭憲皇太后の御陵へ

▼明治天皇の御陵と寄り添うようにして、皇后であった昭憲皇太后(1849~1914)の伏見桃山東陵(ふしみのももやまのひがしのみささぎ)が並んでいます。

京都 伏見桃山陵と伏見桃山東陵の地図

▼道に小さな花が咲いていました。敷地全体が隅々まで浄められていて、そこにいるだけで心が洗われるようです。

伏見桃山東陵への道で見つけた花

▼昭憲皇太后の御陵。形は同じく上円下方墳で、大きさが少し小さいようです。

京都 昭憲皇太后 伏見桃山東陵の全景

同じ敷地に桓武天皇の御陵も

▼明治天皇・昭憲皇太后の御陵から北西に15分ほど歩くと、第50代 桓武天皇(737~806)の柏原陵(かしわばらのみささぎ)があります。

京都 桓武天皇 柏原陵への地図

▼この道標から奥に入っていきます。

京都 桓武天皇 柏原陵への道標

▼静かな森を抜けると、入り口の看板が見えてきます。

京都 桓武天皇 柏原陵の看板

▼桓武天皇は平城京から平安京に遷都し、平安時代の幕を開けた天皇です。御陵は円丘という形。木に覆われていて、こんもりとした丘のようです。

京都 桓武天皇 柏原陵の全景

あとがき

京都 伏見桃山陵からの帰り道

豊かな森、頭上に広がる空、塵ひとつなく浄められた聖地は、短い時間を過ごすだけで、心を浄化してくれるようでした。

奈良時代から平安時代を生きた桓武天皇。そして、そこから72代、1100年ほど後の時代を生きた明治天皇と昭憲皇太后の御陵が、同じ土地に並んでいる。日本という国の歴史の深さを肌で感じました。

有名な観光地とは違う、静かな祈りの聖地。また訪れてみたいです。

(了)

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