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【川崎病3】後遺症に苦しむ子供たち・・・NHKの報道から

2016年11月8日、NHKの「ハートネットTV」という番組で「急増する川崎病 ―病と戦う子どもたち―」という特集が組まれました。川崎病の原因が突き止められぬまま研究が先細りになってきた背景、後遺症を抱えて生きる人たちの苦悩が取材されていました。

川崎病とは

このサイトでは川崎病について、5つの記事にまとめています。

【川崎病1】急増する原因不明の難病、その症状と診断【川崎病2】急性期の治療法「免疫グロブリン大量療法」【川崎病3】後遺症に苦しむ子供たち・・・NHKの報道から【川崎病4】後遺症の冠動脈瘤は、どのように形成されるのか【川崎病5】冠動脈瘤をケアし、心筋梗塞を予防する

この記事は3本目にあたります。川崎病についての基礎的な情報や急性期の治療法については、これまでの記事を参考にしてください。今回は、川崎病の後遺症に苦しむ子供たちの現実について、NHKの放送を参考に記します。

患者数は右肩上がり、2014年は15979人

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番組は街頭インタビューで始まります。「川崎病を知っていますか?」と問いかけられた人の多くは、「名前は知っているけど、詳しくは知らない」「公害病ですか?」といった答えをします。これが現実でしょう。僕も今回この記事を書き始めるまでは、川崎病のことを詳しく知りませんでした。

このように多くの人に知られずにきた一方で、患者数は右肩上がりに増え続けてきました。

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このグラフは自治医科大学公衆衛生学教室が2012年に発表した論文「川崎病全国調査からみた川崎病疫学の特徴とその変遷」から引用したものです。

1964年以降の川崎病の患者数を示しています。黒い部分が男性患者、白い部分が女性患者を表しています。1979年、1982年、1986年に大きな流行があり、1980年代後半から90年代は毎年6,000人程度。それが、99年に7,000人、2000年には8,000人としだいに増え、2004年に1万人を突破しました(横軸の「10」が1万人を示しています)。それ以降は、2009年に一時的な減少があったのを除いて、患者数は右肩上がりに増え続けています。

罹患者の年齢層としては、1歳児が最も多く主に4歳以下の乳幼児がかかります。このグラフからも分かるように、全期間を通じて男性患者の方が多いのが特徴で、全体としては男子が女子の約1.5倍となっています。

今回のNHKの番組では、その後の統計結果も加味されて、2014年に過去最高を更新して15979人が罹患していたことが報じられました。おそらく2015年、2016年とさらに増加していることが想像されます。

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同じ論文に掲載されたこちらのグラフは、乳幼児の「罹患率」を示しています。つまり、0歳~4歳の乳幼児10万人に対して何人が罹患したか、その割合を示しています。上記の「患者数」のグラフと経年の推移は同じ傾向を示していますが、その増加の様子がより明確に現れています。おそらく、出生率の低下で0歳~4歳の人口が減少傾向にあるにも関わらず、患者数が増加しているので、「罹患率」はより大きな増加傾向を示しているのだと考えられます。

これによると2010年の時点で、罹患率は10万人あたり266.3人。もう少し身近な数字に置き換えると、1000人中、2~3人が川崎病に罹患していることになります。10年ちょっとの間に、罹患率の伸びは約2倍。これは異常事態です。

しかし、この増加の理由はまったく分かっていません。そもそも病気の原因が分かっていないのですから、無理もないでしょう。番組では、今から10年前に川崎病の学術研究の予算が打ち切られたことに触れ、川崎病を軽視するそうした行政の姿勢こそが、川崎病を「謎の病」のまま放置し、新たな患者を生み出し続けている一因になっていることが示唆されていました。




患者の3%に冠動脈瘤の後遺症

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年間1万5000人を超える患者のうち、約3%に冠動脈瘤の後遺症が現れます。単純計算で年間450人以上の方が、心筋梗塞のリスクを伴う重篤な後遺症を煩い、それを一生背負っていくのです。

こうした人は、過去20年間で7000人を超えていると考えられています。NHKの番組では、後遺症を抱える人たちの人知れぬ苦悩が取材されていました。

大好きなサッカーをあきらめなければ・・・

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一人目は、小学校2年生の少年。2歳で川崎病に罹患し2ヶ月間入院。冠動脈に12mmの巨大瘤と4mmの瘤ができ、心筋梗塞のリスクを減らすために、血液を固まりにくくする「ワーファリン」という薬を飲み続けています。

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ワーファリンには、出血が止まりにくくなるという重大な副作用があります。特におなかや頭などに衝撃を受けて出血すると、命を落とすことがあるので、運動の制限を受けなければなりません。

今は大好きなサッカーをやっているけど、来年は小学校3年生になり、プレイがより激しくなるため、医師からはサッカーをやめるよう言われているといいます。

挑戦したいことがあるのに、させてもらえない。そのもどかしさにこの幼い少年は向き合っているのです。

運動制限という「強力な自己暗示」

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二人目は、40代の男性。川崎病の後遺症のために運動をほとんどできなかった少年時代の苦悩を、文章に綴っています。

『どこが悪いねん』『心臓悪いようには見えん』など言われ続けてきました。くやしくて、ずっと寝ながら布団の中で泣いていました。この運動制限は自分に対して強力な自己暗示をかけているなと大人になって思うようになりました」

この男性は、今もちょっとした体調不良のたびに、川崎病の後遺症に苦しんだ昔の記憶にさいなまれるといいます。体調不良と川崎病の間に何の因果関係もなくても、つらい記憶がよみがえってきて、今の自分を縛り付けるのだと。

この背景には、後遺症のためにやりたいことができないというつらさはもちろんのこと、それに加えて、そのつらさを誰にも理解してもらえなかったというトラウマがあるようです。見た目は他の子と変わらないのに、なぜ体育の授業はいつも見学なのか。周囲から理解されず孤立した経験が、大人になってからも周囲に対して心を閉ざすことにつながっていくのでしょう。

おそらく、こうした無理解による孤独を、今も多くの子供たちが味わっています。

やりたいことに、挑戦したい

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三人目は、中学1年生の少年。1歳で川崎病にかかり、心臓に後遺症が残りました。以来、激しい運動を制限されてきましたが、中学に入ったのを機に、周囲の反対を振り切って、憧れだった剣道部に入部を希望します。

しかし学校側は少年の身体を心配して、入部を保留にします。彼はあきらめることができません。なぜなら、小学校の時に、挑戦したかった短距離走を、周囲から「何となく」ダメと言われて、あきらめてしまったくやしい経験があるからだと言います。

少年の母親は、複雑な胸中を吐露します。本人のやりたい気持ちを尊重したいが、学校側が心配するのも分かる。どうすればいいのか。何もしてあげられなくてごめんね・・・と。

少年は、自ら心臓の検査を受ける決意をします。心臓の状態が改善されていることを検査で明らかにして、入部を認めてもらおうと、正面からぶつかっていったのです。結果、心臓の状態は運動に耐えられると判断され、習量の制限はあるものの、入部が正式に認められます。

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少年は番組の最後でこう言います。

「人生、生きていれば、何かひとつは転機があるかもしれない、ということです」

そして語り手のディレクターは、番組をこう締めくくっています。

「川崎病の子供たちを取り巻く環境は、これからどうなっていくのだろう。必死に戦っている少年の背中を見て、私たち大人の本気の姿勢が問われている気がしました」



まずは原因究明を・・・川崎富作医師の挑戦

今回のNHKの番組は、苦悩しつつも後遺症と向き合う子供たちの現実が軸となっています。そこに挿入されるような形で、川崎病の歴史そのものとも言える川崎富作医師の姿が映し出されます。

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これは1975年11月7日放送の「あすへの記録 謎の川崎病」というドキュメンタリーの映像です。この中で、川崎富作医師が各分野のスペシャリストによる研究チームのリーダーとして、病気の原因究明に挑む様子が紹介されています。

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そして、次に1982年2月6日放送の「おはよう広場 ぼくのお薬ないの?」という番組。この中で川崎医師は、病気の原因究明に対する期待感を語っています。

ところが、期待に反して研究は難航。同じ頃、海外で対症療法である「免疫グロブリン大量療法」が開発され、死亡率が低下。原因を究明しようという機運が、逆に下火になっていくことになります。そして今から10年前、国ぐるみの研究体制が打ち切られることになりました。

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こちらが、現在の川崎医師。なんと91歳です。今もお元気で、川崎病に関する相談の窓口をしておられます。インタビューで川崎医師は、川崎病の研究が打ち切られたことに対する忸怩たる思いを語っています。そして、行政の子供の病気を軽視する傾向を、厳しく批判しています。

子供の病気っていうのはね、もう・・・大人の病気よりも軽視されているんですよ。金が支配しているのがこの国ですからね。だから、子供の世界に対しての金の支配力っていうものはね、大人の世界のお金の使われ方より、ずっと貧弱なんですよ」

そして、すぐに答えの出るもの、成果の出るものだけに予算をつけようとする社会の風潮に対して、鋭く警鐘を鳴らしています。

「日本はお勉強はすごく一生懸命やってね、子供も。だけれども、分からないことというのはね、分からない。どうせ結果も出ないし無駄だから、という風に考えちゃう人の方が多いわけですよね。一所懸命やったって実るかどうか分からない。それが未知なるものに挑戦する学問ですから。学問っていうのは、結論がまだ分からないものに対してチャレンジするということですね。だから、川崎病もまだ結論が分からない。その未知なるものにチャレンジするということが、学問研究ですよね」




川崎病のこれから

今も毎年1万5000人以上の患者を出し、その数が増え続けている川崎病。冠動脈瘤の重篤な後遺症を残す子供が毎年500人近くもいる現状には、これから先、改善していく兆しがまったくありません。

再び組織だった研究が行われて、原因究明に近づかなければ、このまま患者は増え続ける一方です。私たちにできることは小さいかもしれませんが、声を出すことはできます。幼い子供たちに後遺症の苦しみを一生背負わせるような病気を、このまま放置してはいけない。そう声を上げていくことはできないものか。僕も4歳の子供をもつ親として考えていきたいと思います。

川崎病に関する次の記事は、こちら↓をご覧ください。

【川崎病4】後遺症の冠動脈瘤は、どのように形成されるのか


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子供の病気の記事まとめ

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