こんにちは。えいぷりおです。
2016年に公開された映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を、Amazonプレミアムで見ました。
第40回日本アカデミー賞で6部門受賞(内2部門は最優秀賞)など、数々の賞を総なめにした話題作。もう3年以上前になるんですね。
ずっと気になっていましたが、ようやく見ることができました。
宮沢りえ演じる余命2ヶ月の母親の愛。そのあり方には賛否両論ありましたが、僕はすごく感銘を受けました。
ややネタバレありで、感想を書いてみます。
映画『湯を沸かすほどの熱い愛』とは
映画『湯を沸かすほどの熱い愛』
脚本・監督:中野量太
公開:2016年10月29日
〔キャスト〕
- 幸野双葉:宮沢りえ
(幼少期:住田萌乃) - 幸野安澄:杉咲花
- 幸野一浩:オダギリジョー
- 向井拓海:松坂桃李
- 片瀬鮎子:伊東蒼
- 酒巻君江:篠原ゆき子
- 滝本:駿河太郎
- 滝本真由:遥
- 宮田留美:松原菜野花
- 向田都子:りりィ
〔受賞〕
第40回日本アカデミー賞の他、報知映画賞、高崎映画祭、ヨコハマ映画祭など多数
▼予告編の動画はこちら。
▼特報の動画はこちら。
母親の愛は強く深い
この作品のあらすじを、公式サイトから引用します。
余命2ヶ月。私には、死ぬまでにすべきことがある。
銭湯「 幸 さち の湯」を営む幸野家。しかし、父が1年前にふらっと出奔し銭湯は休業状態。母・双葉は、持ち前の明るさと強さで、パートをしながら、娘を育てていた。
そんなある日、突然、「余命わずか」という宣告を受ける。その日から彼女は、「絶対にやっておくべきこと」を決め、実行していく。
- 家出した夫を連れ帰り家業の銭湯を再開させる
- 気が優しすぎる娘を独り立ちさせる
- 娘をある人に会わせる
その母の行動は、家族からすべての秘密を取り払うことになり、彼らはぶつかり合いながらもより強い絆で結びついていく。そして家族は、究極の愛を込めて母を葬(おく)ることを決意する。
圧巻だったのは、母親の双葉を演じた宮沢りえさんの凄まじい演技でした。
末期がんで痩せ細っていく中、愛する者たちが自分の死後も自立して生きていけるよう、命の炎を燃やすように愛情を注ぐ双葉の生き様は、胸に迫るものがありました。
死期が迫ったとき、逆に家族からの愛を受け取る大切なシーン。ずっと気丈に振る舞ってきた双葉が「死にたくないよ…」と泣き崩れる姿に、僕は号泣してしまいました。
イジメを受ける娘、安澄への愛
双葉は、高校でイジメを受けている娘、安澄(杉咲花)を、力ずくで学校へ送り出します。
「逃げちゃだめ! 立ち向かわないと!」
これに対してネット上では、批判的なレビューが数多く見られました。母親は、傷ついている娘に寄り添い、逃げ道を作ってあげるべきだ、という意見です。
たしかにその通りかもしれません。無理に学校に行かせることで、イジメがエスカレートする可能性は高いし、追い詰められた娘が自殺するリスクさえあるのですから。
でも僕は、批判的にはなれませんでした。
双葉は、娘の弱さを知っていました。逆境に負けて、自分の思いを伝えられない娘の弱さを。
それは、絶対に乗り越えなければならない課題。そう腹をくくって、心を鬼にしたのだと思います。
その場の無責任な感情ではなく、娘が自分の人生を力強く歩んでいけるよう、全責任を負って、娘の背中を押したのです。
「寄り添う」「逃げ道を作ってあげる」というのは、親として正しい場合もあるでしょうが、ただ面倒を避けているだけの場合もあります。
双葉は、娘が内に秘めた強さを信じて、母親としての覚悟を貫いたのだと、僕は思いました。
娘を本当の母親に会わせる
安澄は、実は双葉の本当の娘ではありません。
余命を宣告された双葉にとって、やらなければならない最大の使命は、安澄を本当の母親に会わせることでした。
安澄を演じた杉咲花は、第59回ブルーリボン賞の授賞式で、「演じていて一番つらかったシーンは、お母ちゃんに本当の母親ではないと告げられるシーンだった」と語っています。
15年間ずっと「お母ちゃん」だと信じていた人が、実は本当の母親ではなかったという事実は、受け入れがたいことだったでしょう。
でも双葉は、傷つけてしまうことを承知で、本当の母親のもとに安澄を連れていきます。
残酷にも思えるこのシーンにも、ネット上では批判的な意見が多く寄せられました。
でも僕は、批判的にはなれませんでした。
「お母ちゃんが死んでしまっても、あなたをずっと愛し続けてきた人がいるんだよ… それはきっと、あなたが生きていく力になる」
双葉は命がけで、そう伝えたかったのだと、僕は思いました。
▼迫真の演技を見せた杉咲花の、第59回ブルーリボン賞授賞式の様子はこちら。
愛する者たちに何を残せるか
典型的なダメ夫(オダギリジョー)にも、彼が愛人との間に作った小学生の娘、鮎子(伊東蒼)にも、双葉は深い愛を注ぎます。
僕は、その姿を見ながら、自分の妻のことを考えていました。
僕の妻も、双葉と同じように、「ここは絶対に逃げさせてはいけないところだ」と覚悟を決めると、力ずくでも子供を向き合わせようとする人でした。
当時、僕には妻のやり方が理解できませんでした。
「そこまで厳しくしなくてもいいじゃないか」「寄り添ってあげることも大事だろう」と批判的な思いを抱いていました。
でも今思えば、僕は本気で子供と向き合わず、ただ綺麗事を言っているだけでした。
そんな無責任な僕と違って、妻は、自分が悪者になってでも、子供が自分の力で人生を切り開いていく力をつけさせようとしていました。
その厳しくも深い愛情が子供を成長させたのだと、今なら分かります。
もっと早く気付くことができたらよかったのですが、僕は結局、妻との関係をダメにしてしまいました。
そんな後悔の気持ちもあって、双葉の生き様に、妻の姿を重ねたのだと思います(ちなみに妻は死んでいません笑)。
オダギリジョー演じるダメ夫は、なぜ憎めないのか
オダギリジョーが演じる夫は、本当にどうしようもないダメ男です。
別の女性との間に子供を作った挙句、すべてを放り出して蒸発してしまう、究極の無責任男。
家業の銭湯を閉店に追い込んで、双葉と安澄を困窮させているのに、1年以上も姿をくらませたまま。
余命宣告された双葉が探偵を雇って居場所を突き止め、ようやく戻ってきます。
そんな男なのに、双葉は「私が死んだらすべて許すから、娘たちのこと、よろしくね」と頭を下げます。
なぜ双葉は、この夫を許せるのだろう?
僕は妻の信頼を失ってしまったのに… 僕になくて、このダメ夫にあるものは、何なのだろう?
それは「相手を否定しない」ところなのかな… と思いました。
僕は、自分と妻との間に、価値観や考え方の違いがあると、相手を否定的に見てしまうところがありました。
違いを認めて、一致点を探っていかなければならない夫婦関係において、これは致命的な欠点です。
僕のそうした性質が妻を傷つけてきました。
オダギリジョー演じるダメ夫は、頼りなくて情けない男だけど、妻を否定したり、精神的に追い詰めるようなことはしなかったのだと思います。
そういうところを、このダメ夫から学びたいと思いました。
中野量太監督の描く母親像
『湯を沸かすほどの熱い愛』が長編デビュー作となった中野量太監督。
彼が自主制作した『チチを撮りに』(2012年)にも、とても印象的な母親が登場します。
どちらの作品も、男性に観てもらいたいです。
女性がどれほど強く愛情に満ちた存在か。そのことを、中野量太監督の作品は教えてくれるのです。
『湯を沸かすほどの熱い愛』を見る方法
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