こんにちは。そなてぃねです。
2020年2月に大阪のいずみホールで行われた、小糸恵(こいと・けい)バッハ・オルガン作品演奏会を聴きに行きました。
渡欧して40年以上、ヨーロッパではバッハの権威として尊敬されている方ですが、日本ではほとんど知られていないオルガニストです。
7年ぶりの帰国公演は、いずみホールでの1回のみ。この貴重な機会を聴くことができました。
演奏会の概要
小糸恵 バッハ・オルガン作品演奏会
- プレリュードとフーガ ハ長調 BWV545
- 「いざ来ませ、異邦人の救い主」BWV659
- 「われらが神は堅き砦」BWV720
- 「心よりわれこがれ望む」BWV727
- 「われはいずこにか逃れゆくべき」BWV646
- 「来ませ、造り主なる聖霊の神よ」BWV667
- トリオ ト短調 BWV584
- プレリュードとフーガ ト短調 BWV535
- 「おお人よ、何字の大いなる罪を嘆け」BWV622
- プレリュード ハ短調 BWV546/1
- オブリガート・チェンバロとヴァイオリンのための6つのソナタ 第3番 BWV1016から第1楽章 アダージョ
(小糸恵編曲) - 「バビロンの流れのほとりに」BWV653
- トッカータとフーガ ニ短調 BWV538「ドリア調」
〈アンコール〉
- 「神の時こそいと良き時」(哀悼行事)BWV106 から第1曲
オルガン 小糸恵
2020年2月22日(土)16:00~
いずみホール
そなてぃね感激度 ★★★★★
伝説的オルガニスト 小糸恵さん
小糸恵さんというオルガニストは、非常に謎めいた存在です。
東京藝大を卒業後、いつ渡欧したのかなどの細かい経歴は、探してもなかなか出てきません。
今回は7年ぶりの帰国公演で、しかも公演は大阪のいずみホールでの1回のみ。
7年前の2013年に行われた帰国公演(いずみホールと武蔵文化会館)は、なんと10年ぶりだったそうです。
ヨーロッパにおいてはバッハ演奏の第一人者として大変な尊敬を集めている存在でありながら、日本ではほとんど知られていません
2012~2019年にいずみホールが「バッハ・オルガン作品全曲演奏会」という7年がかりの企画を行ったとき、第2回(2013年)の出演者として登場したのが小糸恵さんでした。
ところが、いずみホール開館当初から音楽ディレクターを務めていたバッハ研究の権威、故・礒山雅(いそやま・ただし)さんでさえ、当初は小糸さんの存在を知らなかったと言います。
磯山さんの当時のブログ「小糸旋風が過ぎて」には、こう書かれています。
何度も考えざるを得ないのは、これだけの力量をもった音楽家を、私も、スタッフも、ケーニヒ氏も、誰も知らなかったということです。音楽の世界ほど知名度がものをいう世界はありません。人を集め、お金を動かしていくのは、知名度のある音楽家です。しかし一方では、そんなことは煩わしいとばかりに自分の探究に打ち込み、他の誰にもマネのできない世界に到達している音楽家がいる。このことを、どう考えたらいいのでしょうか。
彼女の存在を知っていて、演奏者のリストに抜擢した、ヴォルフ先生という方がいます。そして、人選への信頼に基づいて満員の大盛況を作り出してくださった、お客様がいます。キツネにつままれたような現象ですが、事実。奇跡、と言ったら大げさでしょうか。
「鼓舞される心」と題された2013年の小糸さんの公演は、聴衆に深い感銘を与えたようで、その後いずみホールが行った「再登場を希望するオルガニスト」のアンケート(2007~2018年に登場した22人のオルガニストが対象)で、最も多くの票を獲得したのが小糸さんでした。
今回の7年ぶりの公演は、そのアンケートに応える形で実現したものだったのです。
東京藝術大学を経て渡欧し、現代曲初演を含むオルガン音楽の全てのレパートリーとする演奏家として活動。1985年以降、古典作品をレパートリーの柱とし、歴史的資料の研究に基づいた、楽器の選択および演奏法を、独自に展開している。
バッハ作品の優れた演奏者のひとりとして、ヨーロッパ、ロシア、日本、アメリカでコンサートを開催。また、ソリストとしてのみならず、バロックオーケストラやグレゴリオ聖歌隊との共演にも積極的に取り組んでいる。とりわけ、ムジカ・アンティクァ・ケルンとはバッハのカンタータおよびオルガン・シンフォニアやヘンデルのオルガン協奏曲を、アンサンブル・ジル・バンショアとはフランスの古典、前古典やイタリア・ルネッサンス、バロックの作品演奏で共演した。
また、レコーディングも数多く、歴史的価値の高いオルガンを弾き古典をレパートリーの柱とする数々のバロック時代のオルガン作品を発表し、数多く栄誉ある賞を授与されている。2019年8月23日には、Sony/DHMより新CD 「BACK TO BACH」をリリース。
1992年にローザンヌ高等音楽院のオルガン科教授に就任。加えて、英国王立音楽院、オーストリアバロックアカデミー等の客員教授を務めている。また、著名な国際オルガンコンクールの審査員としても頻繁に招かれている。
「ローザンヌ・バッハ・フェスティバル」は、1997年の開始当初より芸術監督を務めており、2012年からは、ローザンヌ・シティ・オペラのバロック・オペラ共同プロデューサー。
(以上、いずみホールHPから転載)
大河のように溢れ出る音楽
初めて聴く小糸恵さんの実演。本当に圧倒的な感動を与えてくれました。
13曲のプログラムを通じて、いずみホールの美しいオルガンから繊細で多彩な音色を引き出し、徐々に音楽の密度を高めていきました。
最後に演奏されたトッカータとフーガ ニ短調 BWV538「ドリア調」では、すべての支流が流れ込んだ大河のごとく、溢れ出るような音楽に圧倒されました。
前述の故・礒山雅さんも、7年前のブログで小糸さんの演奏を「大河」という言葉で表現していました。
コンサートの最後に演奏された《パッサカリア》では、蓄えられたエネルギーが大河のような流れを作り出し、「鳥肌が立つ」(オルガン製作者ケーニヒ氏)ような盛り上がりとなりました。穏やかな女性のどこに、こうした力がひそんでいるのでしょうか。
序盤は7年ぶりに触れるオルガンに苦心しているようにも見受けられましたが、少しずつ巨大な楽器と溶け合っていくのが感じられました。
小糸さんの音楽は、正確に拍を刻むような進み方をしません。まるで語りかけるように、自在に拍節が伸縮します。
現代のビート感覚とは違う独特の語り口は、プロフィールに書かれた「歴史的資料の研究に基づいた楽器の選択および演奏法」に基づいたものなのでしょう。
人間味にあふれたナチュラルな音楽に、心の底から癒される時間となりました。
〈下に続く〉
故・礒山雅さんへの追悼
実は、演奏会が行われた2月22日は、先程から何度か触れている、故・礒山雅さんの三回忌にあたります。
この日に演奏会が行われたのが小糸さんの意向だったのかどうかは分かりませんが、アンコールの選曲に小糸さんから磯山さんへの哀悼の意が伝わってきました。
カンタータ第106番「神の時こそいと良き時」は、通称「哀悼行事」と呼ばれ、よく葬儀で演奏されます。
小糸さんの奏でる優しい調べから、故人をしのぶ心がじんわりと伝わってきて、胸を打たれました。
バッハ研究の権威であった礒山雅さんは、3年前の大雪の日に路面で転倒して、そのまま意識を取り戻すことなく亡くなったといいます。
きっとこの日は天国からいずみホールの客席に降りてきて、小糸さんの演奏を聴いておられたことでしょう。
▼礒山雅さんの名著のひとつ「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」。
小糸恵さんのCD
実演の感動にはかなわないかもしれませんが、小糸恵さんは海外レーベルから多くのCDを出しているので、ご紹介します。
▼2018年にオランダ・フローニンゲンのマティーニ教会で録音された最新アルバム。今回の公演で演奏された曲が多数含まれています。
▼バッハ名曲集の第1集。2009年の録音で、場所は上と同じくオランダのマティーニ教会。ここのオルガンは1692年製です。
▼バッハ名曲集の第2集。2009~2010年にドイツ・ドレスデンの聖母教会で録音。バッハのオルガン曲で最も有名な「トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565」が含まれています。
▼バッハ名曲集の第3集。2011~2012年にオランダ・ハーレムの聖バフォ教会で録音。ここのオルガンは1738年製で、モーツァルトやヘンデルも演奏した歴史的なものです。
▼バッハ名曲集の第4集。前述のマティーニ教会で2013年に録音されました。
▼バッハ名曲集の第5集。2014年にドイツ・エアフルトの教会(教会名は調べられなかった)で録音。1732~37年製のオルガンで、このオルガンを使った世界で最初のレコーディングだったようです。
▼上記のバッハ名曲集 全5集をまとめたものがこちら。日本語解説がついています。
他にも、バッハ以前の作曲家に光を当てたアルバム、オルガン協奏曲集、北ドイツの作品を集めたもの、フランスのオルガン作品、バッハの先人であるブクステフーデを取り上げたものなど、多数のレコーディングを行っておられます。
小糸恵さんの動画
youtubeに小糸恵さんの動画がいくつかあったので、ご紹介します。
▼先程ご紹介した最新アルバム「Back to Bach」のプロモーション・ビデオ。演奏する姿とインタビューが収められています。インタビューでは、ドイツ語、フランス語、英語で語っています。
▼2016年に録音されたCD「Splendour」のプロモーション・ビデオ。ドイツのタンガーミュンデという町の聖シュテファン教会での撮影。
▼2015年に録音されたCD「バロック・オルガン・コンチェルト」のプロモーション・ビデオ。オランダ・フローニンゲンのDer Aa-kerkという教会で撮影された映像です。
▼2014年に録音されたCD「バッハ以前のオルガン音楽」のプロモーション・ビデオ。ドイツのヴォルフェックという小さな町にある教会。窓から差し込む光が刻々と移ろっていく美しい映像です。
これらの映像を見ていると、オルガンという楽器の奥深さに、気が遠くなります。
ヨーロッパのあちこちの町に、300年以上の歴史を持つオルガンがあり、それぞれに個性的な鍵盤とストップ(音色を変えるための音栓)が備えられている。
小糸さんは、そういったオルガンたちと対話をしながら、過去の音楽を現代に蘇らせているのだと思いました。
NHK「クラシック倶楽部」で放送
(NHK「クラシック倶楽部」HPから引用)
会場にはNHKの中継クルーが入っていました。この公演に着目して収録を決めたNHKは、慧眼だったと言えるでしょう。
BSプレミアム「クラシック倶楽部」のサイトによると、2020年3月13日(金)に放送予定とのこと。楽しみです。
▼NHK「クラシック倶楽部 ~小糸恵 バッハ・オルガン作品演奏会~」を見た感想はこちら。
【NHK クラシック倶楽部】小糸恵 バッハ・オルガン作品演奏会(2020年3月 BSプレミアムで放送)あとがき
それにしても、いずみホールの主催公演は素晴らしいなぁと、改めて感心しました。
小糸恵さんという、日本で誰も知らなかった優れた音楽家を見つけ出し、紹介してくれたのですから。
「次回も7年後」ということではなく、1~2年ごとに招聘し続けてもらいたいものです。
再び実演に触れられる機会を、楽しみにしています。