2020年8月4日、ピアニストのレオン・フライシャーさんが亡くなりました。92歳でした。
「100年に1人の逸材」と言われながら、絶頂期に右手を病に冒され両手での演奏を断念。深い絶望を乗り越えて、不屈の精神で指揮者・教育者として多大な功績を残しました。
僕は幸運にも、2009年10月に東京で行われたリサイタルを聴くことができました。その感動を忘れることができません。
その公演の模様が、2009年12月にNHKの「芸術劇場」で放送されたのですが、その前に流れた30分におよぶドキュメンタリーも印象深いものでした。
当時録画していたDVDを引っ張り出してきて久しぶりに見てみたのですが、本当に素晴らしい内容でした。追悼の意味を込めて、ここに書き起こしておくことにします。
NHK「芸術劇場」冒頭スタジオ
NHK「芸術劇場」は1959年に始まった長寿番組でしたが、残念ながら2011年3月に終わってしまいました。
(以下、2009年12月放送のNHK「芸術劇場」ドキュメンタリー部分からの書き起こし)
レオン・フライシャー、81歳。100年に1人の逸材と言われながら、原因不明の病で右手の自由を失い、35年以上におよぶ闘病を乗り越えてきました。
いま再び両手で奏でる演奏。孤高の境地を聞かせた日本公演をお届けします。
【礒野佑子アナウンサー】こんばんは、芸術劇場です。今夜は(2009年)10月に東京で行われたレオン・フライシャーのピアノ・リサイタルです。
レオン・フライシャーは30代半ばで右手の自由を失いました。その後、長い闘病を経て再び両手での演奏を再開させるという劇的な道のりを歩んできたピアニストです。
今日はフライシャーの人生とはどのようなものだったのか、ご紹介していきます。スタジオにはゲストをお招きしました。
レオン・フライシャーと共演したご経験のあるバイオリニストの竹澤恭子さんです。どうぞよろしくお願いいたします。
竹澤さんが初めて共演したのが10年ほど前とうかがっていますが、初めて会った時のフライシャーの音楽、どのようにお感じになりましたか?
【竹澤恭子】まず最初に強く印象に残っていますのが、彼のピアノから紡ぎ出される音色ですね。大地のうねりを感じさせるような重厚で深みのある音色、これに私は耳が釘付け状態になりまして、非常に魅せられました。
【礒野アナ】お人柄というのは、どのように感じましたか?会うまでにちょっと緊張されていたとうかがっていますが。
【竹澤恭子】私にとってフライシャーさんの存在というのは、本当に大巨匠で近寄りがたい存在。その方と共演させていただく機会を持ちまして、どう接したらいいのか、本当に一緒に音を出していいのか、緊張していたんですけど、最初に握手をさせていただいた時に、彼のあたたかい笑顔と、厚みのある手のぬくもりに、一気に緊張が解きほぐされまして、ユーモアあふれる魅力的な方だと感じました。
【礒野アナ】ちょうど10年前といいますと、フライシャーが両手での演奏を再開させたころですよね。間近にご覧になってフライシャーの様子は、どのようなものだったのでしょうか?
【竹澤恭子】再開されたばかりということで、フライシャーさんがどのように演奏されるのか興味があったんですけど、やはり演奏の合間に指の状態のことを気にされてストレッチをされたり、とても神経を使っていらっしゃったので、再開されたと言いましても、それは大変なことなんだなという印象を受けました。
【礒野アナ】
それでは最初に、フライシャーのこれまでの歩みをご覧いただきます。なぜ右手の自由を失うことになったのか。そしてフライシャーは、どのようにその苦境と向き合ってきたのでしょうか。
100年に1人の逸材
(VTRはフライシャーの言葉から始まる)
「決してあきらめてはいけません。どんな困難にも希望を捨ててはいけません。柔軟な姿勢で新しい可能性に目を向けるべきです。そうすれば素晴らしい人生を歩むことができるはずです。私がそうでしたから」
レオン・フライシャーは1928年、アメリカ・サンフランシスコ生まれ。4歳でピアノを始め、8歳でデビュー。早くからその才能を表しました。
9歳からの10年間、フライシャーは20世紀を代表するピアニスト、アルトゥール・シュナーベルのもとで学びました。作曲家の意図を汲み取り誠実に表現することの大切さを説いたシュナーベル。その教えがフライシャーの原点となりました。
「私のすべてを形作ったのがシュナーベルでした。素晴らしい先生でした。彼は多くのことに触発され、それを生徒に吹き込んでくれました。作品の本質をしっかりと捉えることのできる人でした。子供だった私にとってシュナーベルは、ベートーベンやモーツァルト、シューベルトそのものでした。それだけ音楽の魂を自分のものにしていたのです」
(ここで1944年の貴重なラジオ音源が。ピエール・モントゥ指揮 ニューヨーク・フィルとの共演でカーネギーホールデビューを果たした時のもの。当時のナレーションがそのまま流れる)
「指揮はピエール・モントゥ、ソロは16歳のレオン・フライシャー。曲はブラームス作曲ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調です」
フライシャーは10代の半ばからスターダムへの道を一気に駆け上がっていきました。16歳でのカーネギーホールデビューは、大指揮者ピエール・モントゥをして「100年に1人の逸材」と言わしめるほどの演奏でした。
24歳で出場したエリーザベト王妃国際音楽コンクールでは、アメリカ人として初めて優勝を果たしました。
巨匠ジョージ・セルにもソリストとして抜擢されます。
ベートーベンの協奏曲全曲録音など数々の歴史的な記録を残しました。
まさに絶頂期を迎えようとしていた36歳の夏。フライシャーの右手に異変が起こります。
「庭の家具を動かしていた時に手が滑って、親指に3~4針縫うけがをしました。その後2週間ほど手が使えず、練習を再開した時に腕に違和感がありました。
休んでいる間に衰えたのだと思い、猛練習を始めました。それがいけなかったのです。右手の小指と薬指が少しずつ曲がり始め、10ヶ月も経つと完全に曲がってしまいました」
右手の異常は、ピアノを弾く時にだけ起こりました。この謎の症状を説明できる医師は、当時一人もいませんでした。
「90年代の半ば、つまり発症してから30年以上経ってようやく、ある症候群だと分かりました。それがジストニア(Dystonia)だったのです」
難病ジストニアとの闘い
ジストニアは謎に包まれた病気です。筋肉や骨に異常は見られず、心の問題として説明することもできません。近年になってようやく、原因は脳の機能障害だということが分かってきました。
発症のメカニズムはまだ解明されていませんが、演奏家の場合、難しい指の動きを繰り返すことが脳の神経回路に異常をもたらすと考えられています。
鍵盤に指を置き演奏の体勢に入ると、その情報がまず脳に届けられます。通常はその情報に基づいて、脳から演奏するための的確な指示が出されます。
ところがジストニアにかかった演奏家の場合、演奏しようとした瞬間、運動をコントロールする回路に混乱が起こります。その結果、本来緩めなければならない筋肉に対して収縮するよう誤った指示が出され、意思に反した筋肉のねじれが起こるのです。
「皮肉なもので、ジストニアには痛みはありません。まるでギリシャ神話の出来事のようです。人生が破壊されるような変化なのに痛みがまったくないのですから」
(フライシャーの娘、リアのインタビュー)
「身体的な苦痛を訴えている場面はなかったように思います。それより精神的な苦しみの方が大きかったようですね。深刻な悩みを抱え心ここにあらずという感じでした。とても暗く、つらい時期でした」
フライシャーの右手は悪化の一途をたどりました。発症から1年後の1965年、フライシャーは両手での演奏を断念します。37歳でした。
「リタイアしてからの2年間は、つらい絶望的な時期でした。深い絶望に押しつぶされそうになり、自殺を考えたこともありました。誰でもそういう心境になったはずです。
しかし、音楽家としてのキャリアは続けることができました。教師としての責任に目覚め、指揮活動も始めました。
あと、あまり知られていませんが左手のための作品がかなりあるのです。右手のための作品はないので、不幸中の幸いでした。
ピアノではなく音楽そのものに向き合えばいいと悟りました。音楽と向き合い続ける方法を模索するようになったのです」
その後フライシャーは、指揮者としてボルチモア交響楽団や新日本フィルなどで活動。
教育者としてはピーボディ音楽院で教授を務めながら各地の音楽祭などで教えてきた。
90年代から、当時まだ実験段階だった「ボツリヌス毒素療法」を試みる。それが功を奏し徐々に右手は回復。35年の時を超えて両手での演奏を再開させた。
(VTRはここまで)
演奏家にとって右手の自由を失うこととは…
【礒野アナ】絶頂期を迎えていたその時、右手の自由が失われたということで、同じ演奏家の立場として、どうご覧になりましたか?
【竹澤恭子】演奏家にとって楽器を弾けなくなるというのは、小さい頃から毎日練習を積み重ねて生きてきて、演奏すること自体が呼吸をするのと同じような感じですので、呼吸ができなくなるということなんですね。生きていること自体が苦しくなって希望を失い、とてもつらい精神状態になると思います。
【礒野アナ】本当に想像を絶しますよね… フライシャーはその後、新たな治療法によって再び両手での演奏が再開できるようになるのですが、レオン・フライシャーを30年以上苦しめたジストニアという病気はどのようなものなのか。今日は専門家をお招きしています。
20年に渡って音楽家のための専門外来を開設してきた整形外科医の酒井直隆さんです。よろしくお願いします。酒井さんは実際にフライシャーと会われたことがあるそうですね。
【酒井医師】3年ほど前にお目にかかりました。フライシャーさんという方は、ジストニアの演奏家にとって、病気を克服してステージまで復帰した希望の象徴のような方なんですね。ですから、どのようにして復帰されたかということをお話をうかがいたくて、お目にかかったんですけれど、一番印象に残ったのは、病気に対して非常に前向きな姿勢でおられたということですね。
演奏家のジストニアとは
【礒野アナ】ジストニアという病気なんですが、一言で言うのは難しいと思うのですが、どのような病気なんでしょうか?
【酒井医師】私たちの体というのは、脳の司令に従って筋肉が収縮して動くんですね。ところがジストニアという病気は、司令がないのに、ひとりでに筋肉が収縮してしまうという状態なんですね。ですから、思ってもいないのに指が曲がったり伸びたり、あるいはねじれたような姿勢になったりという症状が出てきます。
【礒野アナ】もう少し詳しく、こちらのボードでご説明いただけますでしょうか。
【酒井医師】全身にそういう症状が起こるものが全身性ジストニア。体の一部に症状が現れるものが局所性ジストニアと言われています。
演奏家のジストニアというのは局所性ジストニアのひとつなんですけれど、大きな特色がありまして、演奏している間にだけしか起こらないんですね。ですから普通の日常生活では何ともなくて、演奏すると出てくるという非常に大きな特色があります。
【礒野アナ】では、さあ練習を始めようとなった時に無意識に出てくるということですね。
【酒井医師】演奏家は非常に難しい指の動きを正確に間違いなくやらなければなりませんから、過酷な練習を強いられるんですね。それが脳に何らかの異常を引き起こすのではないかと言われています。
【礒野アナ】とは言いましても、竹澤さん。演奏家としては一生懸命練習していることが病気の原因につながってしまうのではないかという事実はちょっとつらいですよね。
【竹澤恭子】演奏家の性とでも言いますか、少しでも気になるところ、指が思うように動かないところがありますと、そこを集中的に練習してしまう。練習すればするほどうまく弾けるのではないかと思って、ついつい夢中でやりすぎてしまうということがありますね。
【礒野アナ】実はこのジストニアという病気、あまり知られていませんけれど、多くの方がかかっているということなんですね。
【酒井医師】今まで20年間に200人以上を治療してきましたけれど、年齢的にも立場的にも、学生さんからソリストまで色んな方々がいらっしゃいますし、楽器の種類もピアノだけじゃなくて、バイオリン・ギター・ハープなどの弦楽器、それからフルート・クラリネットといった管楽器、あるいは打楽器まで、色んな種類の楽器を演奏される方がかかってらっしゃいます。
【礒野アナ】ではこのジストニアという病気、治療することは可能なのでしょうか。こちらに現在行われている主な治療法を挙げました。まず一番上、ボツリヌス毒素療法。酒井さん、これはどのような療法なんでしょうか。
【酒井医師】フライシャーさんもこの治療を受けられたそうですけれど、ボツリヌス毒素というのは神経に作用して筋肉を和らげます。ですから勝手に筋肉が収縮している状態に作用すると、筋肉が和らいで症状が軽くなるという、一種の対症療法ですね。
フライシャーさんの場合には効果的だったようですけれど、注射をする場所や量を決めるのが非常に難しい。すべての方々に効果があるとは限らないものなんですね。
【礒野アナ】続いてリハビリ。これは酒井先生がリハビリ治療を勧めているということですよね。
【酒井医師】ジストニアの症状というのは不思議なもので、ゆっくり演奏すると、ひとつひとつの指に意識が入って、症状が起こらない、そういうところがあるんですね。ゆっくりした演奏からだんだん早くしていくというリハビリテーションのプログラムを作ってあげると、最終的には回復してステージに復帰される方もいらっしゃるということですね。
【礒野アナ】そして他にも脳の外科手術という方法があります。原因と考えられる脳の一部に外科手術を行うという方法なんですが、一定の成果を上げているそうです。
ただ、こちらに紹介したどの治療法も賛否両論ありまして効果も患者によって様々ということで、決定的な治療法はまだ確立されていないということです。
酒井さんにうかがいたいんですが、これまで多くのジストニア患者を診てこられて、一番何が大切だと思われますか?
【酒井医師】ジストニアという病気がどういうものであるかということを、色んな人たちに広く知っていただくことだと思います。患者になり得る演奏家の方々だけじゃなく、医療関係の我々にとっても広く知っておくべきことじゃないかと思います。
あともう一つは、もしこういう症状が出たら、早めに専門医にかかること。早く治療を始めることですね。不幸にして症状が出てしまったら、前向きに治療に取り組むという姿勢が大事だと思います。
【礒野アナ】ここまでは整形外科医の酒井直隆さんにお話をうかがいました。酒井さん、ありがとうございました。
さて、35年以上におよぶ闘病中、フライシャーは指揮者として、そして教育者として音楽と向き合い続けてきました。いま彼は次の世代に何を伝えたいと思っているのでしょうか。
フライシャーが次の世代に伝えたいこと
(ここから再びVTR)
10月に来日したフライシャーは日本の若い演奏家のために1週間の集中レッスンを行いました。
アメリカの音楽院での教職歴は50年になります。カーネギーホールのワークショップや様々な音楽祭にも参加し、世界各地で数多くの若者を指導してきました。
(教えている様子)
「もう少しリズムをきちんと。ここは予想外の動きですから、もう少し強く。弦楽器奏者のように。自分で歌ってみて。それがあなたの求める音です。あなたはピアニストでしょう?鍵盤を叩くだけなら赤ん坊にでもできます。作曲家は難しいのを承知でこれを書いているのです。命がけでやるしかないのです。それが音楽なのだから」
(インタビュー)
「教えることで私は成長することができました。両手が使えた時は生徒をどかして見本を示せばよかったのです。ですが右手が使えなくなり、そうはいかなくなりました。別の手段で意図を伝えなければなりませんでした。音楽は言葉を超えた存在です。それを言葉で伝えようと努力してきたので、教えるのが上手くなりました」
音楽家を志す若者たちを長年見守ってきたフライシャー。厳しい競争の中、チャンスをつかもうと必死に練習する姿にかつての自分を重ね、心配になることがあります。
「今の若い人たちに是非分かってほしいことがあります。
完璧な演奏を追い求める人たちがいます。そのために猛練習をし、ダンベルで体を鍛えるように鍵盤を8~9時間もたたき続けます。そうすればホロヴィッツのようになれると思っているのです。
ですが4~5時間を超えると集中力が切れてしまいます。それ以上やっても単なる指の運動。もはや音楽ではありません。まじめに練習しているのだからいいと思うかもしれませんが、そういった馬鹿げた練習が脳を混乱させるのではないかと私は考えています。
美術館や庭園を訪れるなど感性を豊かにする方法は色々とあります。人生経験を積み、内面を磨くことで深く豊かな演奏が可能となるのです」
フライシャーの右手は完全に回復したわけではありません。しかしこれまでに育んできた音楽への思いをふたつの手に託し、再びステージに戻ってきました。
「右手が使えなかった35年間、実は毎日ピアノに向かっていました。色々な弾き方を試してみました。無理だと思いながらも希望を持ち続けたのです。ある日突然発病したように、ある日突然治ってくれるのではないかとね。
ですから、初めて満足のいく演奏ができた時は最高の気分でした。ただ、最後までどうなるか分かりませんでした。今も何が起きるか分かりません。ステージは一種の冒険なのです」
同じ病気で苦しむ演奏家たちへフライシャーからのメッセージです。
「決してあきらめてはいけません。どんな困難にも希望を捨ててはいけません。柔軟な姿勢で新しい可能性に目を向けるべきです。そうすれば素晴らしい人生を歩むことができるはずです。私がそうでしたから」
(VTRはここまで)
苦境と向き合い続けたからこそ得られたもの
【礒野アナ】「決してあきらめてはいけない」と言っていましたね。指が動かなかった35年間も毎日ピアノに向かっていたというフライシャーが、内面を磨くことが大事だと言った言葉はとても重く響いてきたんですけれど、竹澤さんいかがでしたか?
【竹澤恭子】何回かフライシャーさんのマスタークラスを見させていただいたことがあるんですけれど、生徒さんたちに楽譜上の音符をただ追うだけではなく、その内面を磨いていくということがいかに大切であるかということを、再三おっしゃっておられましたね。
私は幸運にもフライシャーさんと共演させていただく機会をいただいたんですけれど、共演させていただくたびに、フライシャーさんの作品に対する深い理解、曲の本質をつかんだ演奏を目の当たりにして、楽譜・音符の裏に込められた意味を読み取ることがいかに大切であるか、フライシャーさんのおっしゃることすべてが刺激的で勉強になりました。
【礒野アナ】長いあいだ病と闘い、その間も音楽と向き合い続けてきたフライシャーさんが言うからこそ伝わってくるものがありますよね。
【竹澤恭子】実質的に楽器を演奏できなかった35年間、指揮者や教育者をやりながら、楽器が弾けなくても、その中で音楽に対する情熱を深めていかれたからこそ、彼の演奏はいつ聴いても説得力を持って伝わってくるんですね。
【礒野アナ】10月に行われたリサイタルですが、事前に竹澤さんにお聴きいただきましたが、どのようなことをお感じになりましたか?
【竹澤恭子】最初の一音から体中が震えるような感動に包まれたという感じだったんですけれど、彼のドラマチックな人生、苦しい経験をされたからこそ到達されるような特別な境地というんですかね。神々しくて、聴いていて言葉を失ってしまいました。
【礒野アナ】今夜はバイオリニストの竹澤恭子さんにうかがいました。竹澤さん、ありがとうございました。それでは、レオン・フライシャー ピアノ・リサイタル、どうぞ最後までお楽しみください。
(ドキュメンタリー部分ここまで)
あとがき
今夜(2020年8月23日)NHKで放送される「クラシック音楽館」で、レオン・フライシャーの追悼番組が流れると知り、11年前のDVDを改めて見直してみました。
フライシャーのひとつひとつの言葉が深く心に響いてきました。本物の芸術家とは、こういう人のことを言うのでしょう。
そして、実は多くの演奏家が苦しんでいるというジストニアという病気を、きちんと報じてくれたという意味でも、この番組は意義深いものだったと思います。
今夜は当時の演奏の一部が再放送されるのだと思います。2009年の実演に触れられた幸運を思い出しながら楽しみたいと思います。
▼局所性ジストニアを克服したピアニスト、本山乃弘さんのリサイタルを聴いた感想。心に響く素晴らしい演奏でした。
【演奏会の感想】本山乃弘ピアノ・リサイタル 局所性ジストニアを克服して(2021年5月 東京文化会館)