阪神・淡路大震災から30年。未曾有の大災害は、神戸出身の僕の人生に深い影を落としました。2025年が始まった今、30年前のあの日と、その後の葛藤を振り返ります。
1.17 午前5時46分、運命の瞬間
阪神・淡路大震災が起きた1995年、僕は20歳でした。当時、成人式は1月15日と決まっていて、東京の大学で学んでいた僕は、地元での式に参加するために神戸の実家に帰っていました。
式を終えた翌16日、「あと1泊していけば」と言う母親の言葉を軽くあしらって、その日のうちに東京に戻ったことを、今も後悔しています。
翌17日の午前5時46分。叔母からの電話で叩き起こされ、テレビに映し出されたのは、信じられない光景でした。高速道路が横倒しになり、街は瓦礫の山と化していました。
逃れられぬ罪悪感
幸いにも家族は無事でしたが、祖父母の家は半壊し、祖父は怪我を負いました。高校時代の友人にも犠牲者はいませんでしたが、同級生の中には、凄惨な経験をした人もいました。
あの時、故郷にいなかった。同郷の人々が苦しんでいる時、何もできなかった。
言いようのない罪悪感が、僕を苛みました。
震災と向き合う日
発災から10日後、ようやく神戸に戻りました。避難所にいる家族の姿、変わり果てた街並み。なぜ1日も早く戻らなかったのか、自責の念に駆られました。
罪悪感を忘れようと、ボランティア活動に参加しましたが、震災を体験していないという負い目は消えませんでした。
大学卒業後、マスコミ関係の仕事に就いたのは、あの時の負い目を乗り越えたかったからかもしれません。
2024年1月1日、能登半島地震が起きてから、何度も現地を取材してきました。ニュースの特集を放送し、ドキュメンタリー番組も制作しました。
しかし、被災地の方々の苦しみに触れる中で、「自分に何ができているだろうか」という無力感は、むしろ深まっています。
阪神・淡路大震災から30年。改めて故郷に祈りを捧げます。そして、これからも「自分に何ができるか」を問い続けていきます。