こんにちは。そなてぃねです。
2019年11月に大阪音楽大学のザ・カレッジ・オペラハウスで上演された、ベッリーニの歌劇「カプレーティとモンテッキ」を観に行きました。
2ヶ月ほど時間が経ってしまいましたが、感想を書き留めておきます。
演奏会の概要
歌劇「カプレーティとモンテッキ」
作曲:ベッリーニ
台本:ロマーニ
演出:岩田達宗
〔キャスト〕
ロメオ:橘 知加子
ジュリエッタ:林 佑子
カッペリオ:迎 肇聡
テバルド:矢野勇志
ロレンツォ:松森 治
管弦楽:ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
合唱:大阪音楽大学 合唱団
指揮:牧村邦彦
2019年11月3日(日)
ザ・カレッジ・オペラハウス(大阪)
そなてぃね感激度 ★★☆☆☆
ソプラノ林佑子さんの輝き
今回の出演者の中で、群を抜いて印象的だったのは、ジュリエッタを演じたソプラノの林佑子さんです。
芯の通ったしなやかな声。恋と一族の間で苦悩する孤独な姿を、情感豊かに演じて共感を呼びました。
ジュリエッタが自殺するラストシーン。暗転した後、再び照明が入ると、彼女の魂は立ち上がっている。怒りとも諦めとも絶望ともつかない印象的な表情で、愚かな男どもの屍の中に立ち尽くす姿は、深い印象を残しました。
林さんは、とても美しい女性です。舞台での立ち姿は凛としていて、強く惹きつけられました。
大阪音大を首席卒業、同大学院を修了。その後、スカラシップを取ってドイツのワイマール音楽大学大学院に2年間留学。現地の歌劇場の舞台にも立っているようです。
そうした本場での経験が、今回のステージでも実を結んでいました。現在、20代後半でしょうか。今後の活躍を期待したいです。
【参考動画】 ロームミュージックファンデーションのスカラシップコンサート2018の動画に、ほんの少しですが林佑子さんの歌う姿が収められています。
(林さんの登場する1:43から再生されます)
【参考動画】 大阪音楽大学の募集動画に、大学院時代の林さんが登場。「私の名はミミ」のアリアを少し聴くことができます。
「ロミオとジュリエット」との違い
「カプレーティとモンテッキ」は、シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」と、同じ原案に基づいています。
シェイクスピアは、イタリアに古くから伝えられていた物語を脚色し、二人の若い男女の悲恋物語に仕立てました。
それに対してベッリーニは、カプレーティ家とモンテッキ家、ふたつの家の紛争物語として描いています。
ここで重要な違いは、ロメオの立場です。
シェイクスピア版では、ロメオはただの無責任な御曹司に過ぎません。敵対する家の娘に恋をしたとしても、それは「若気の至り」の範疇であり、彼は家を背負ってはいません。
一方ベッリーニ版では、ロメオはモンテッキ家の当主という責任ある立場にあります。彼がカプレーティ家の跡継ぎを殺してしまったことは、より重大な意味を持ちます。
カプレーティ家の箱入り娘であるジュリエッタは、まさに「一族の敵」を愛してしまったわけで、「若い二人の悲恋物語」では済まされない深刻な状況に立たされています。
ジュリエッタの覚悟、愚かすぎるロメオ
一族の敵ロメオを愛してしまったジュリエッタ。彼女は劇中に登場するたった一人の女性です。
争い合う両家の男どもが、誰一人として和解のために向き合おうとしない中、彼女だけが双方と正面から向き合い続けます。
やり場のない絶望と孤独。彼女は決して恋のために死んだわけではありません。愚かな両家の争いの間を取り持とうと最後まで抗い続けた「覚悟の死」だったのだと思います。
それなのにロメオは… あまりに愚かです。
彼は当主でありながら一族の行く末を顧みず、熱病に浮かされたように自分の恋を成就させることだけに突っ走り、ジュリエッタに家族を捨てるよう迫ります。まさに身勝手の極み。
彼女の幸せが何かなど考えもせず、ただ自分の思いだけ。思い通りにならないと見るや、一族を紛争に巻き込み、出さずに済んだはずの犠牲を多数出していきます。
ジュリエッタの父親が勝手に決めた婚約者とは言え、罪のないテバルトに「彼女が死んだのはお前のせいだ」と責任転嫁する始末。
薬で仮死状態の彼女を見ても、その死を悼むのではなく、自分の不幸を嘆くだけ。
自暴自棄になって毒薬をあおった挙句、仮死状態の彼女が蘇生するのを見ると「お前は生きて俺の墓の前で涙を流してくれ」と、死んだ後まで自分ファースト。
どうしたらこんなクズが生まれるのか。1ミリも共感できない主人公、それがロメオなのです。
しかも役者がぽっちゃり系で、「せめてイケメンであってほしい…」という願いも叶わず。
ちなみにロメオ役はメゾ・ソプラノの女性が演じる、いわゆるズボン役。メゾにはかなり負担の大きい声域のようで、声が壊れかけていたのも、残念さを増幅させていました。
岩田達宗の演出について
演出の岩田達宗(たつじ)さんは、日本を代表するオペラ演出家のひとり。
僕は、2007年の藤原歌劇団「ボエーム」で、初めて彼の舞台を観ました。
奇をてらわないオーソドックスな演出で、ひとつひとつの演技が細やかにつけられていて、大人数の合唱の動かし方も巧みでした。
彼は今、大阪音楽大学で演出の客員教授を務めており、今回の舞台には学生たちが合唱や裏方として参加していました。
今回も、岩田さんらしく丁寧に作られていると感じました。ただ、ちょっと分かりにくい部分もありました。
例えば、舞台上に吊られたいくつかの「扉」が、場面転換のたびに上下する意味深長な演出がありましたが、それが何を意味するのか、僕にはよく分かりませんでした。
コンセプトは「戦争の愚かさ」だったようで、新聞記事で岩田さんは「戦争の問題は現代に通じる。若い人にも見てもらいたい」と語っています。
ふたつの家の紛争物語は、いま世界中で起こっている様々な紛争と同じなのだと、岩田さんは考えたのでしょう。
死んでいったカプレーティ家の若者たちが、光る玉を手に持ち、白い仮面をつけて彷徨う姿は、戦争の愚かさを象徴しているようで心に残りました。
あとがき
大阪音楽大学のザ・カレッジ・オペラハウスでオペラを観たのは、今回が初めてでした。
大学の中に、このような立派な歌劇場があり、学生時代から舞台に立てる環境というのは、素晴らしいですね。
現役バリバリの演出家の指導を受け、海外で学ぶ先輩歌手と一緒に作り上げていく課程は、学生たちにとって得難い経験となるでしょう。
今回の舞台から世界に羽ばたく歌手が出てくることを、楽しみにしたいと思います。
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