こんにちは。そなてぃねです。
2018年12月、大阪のザ・シンフォニーホールで、イーヴォ・ポゴレリチのピアノ・リサイタルを聴きました。
言葉に表すことのできない感動的な演奏でした。
この感動を心に刻むために、書き留めておきます。
演奏会の概要
【イーヴォ・ポゴレリチ ピアノ・リサイタル】
- モーツァルト作曲
アダージョ ロ短調 K,540 - リスト作曲
ピアノ・ソナタ ロ短調 - シューマン作曲
交響的練習曲 作品13(遺作変奏付き)
2018年12月2日
ザ・シンフォニーホール(大阪市)
そなてぃね感激度 ★★★★★
還暦を迎えたイーヴォ・ポゴレリチ
ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチについて簡単に触れておきます。
1958年、ベオグラード出身。クロアチア人の父とセルビア人の母の間に生まれました。
12歳からモスクワで勉強し、18歳からは名教師で後に妻となるアリス・ケゼラーゼに師事。
彼の名を世界に知らしめたのは、1980年のショパン国際コンクールでした。
衝撃的な演奏で聴衆を熱狂の渦に巻き込んだ21歳のポゴレリチ。
しかし保守的な審査員は、従来の解釈を逸脱した彼の演奏を認めず、最終予選で落とします。
審査員の一人だった名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチは「だって彼は天才よ!」と言い残して審査を降りてしまいました。
この事件によってポゴレリチの名はセンセーショナルに世界中を駆け巡りました。
初来日は1981年。以来20回以上訪れています。
僕も中学生のころ(1988年)、大阪公演を聴きに行き、底の見えない巨大な音楽にめまいがしたのを覚えています。
録音でも数々の衝撃作を世に出しましたが、僕が擦り切れるほど聴いたのは、ラヴェル作曲「夜のガスパール」でした。
クールな風貌とエキセントリックな演奏で時代の寵児となったポゴレリチでしたが、大きな挫折を味わうことになります。
1996年に愛する妻を亡くし、一切の演奏活動を中断。
同時期、長期に渡って左手を故障していたことを、後のインタビューで明らかにしています。
2005年に久しぶりの来日を果たしたときには、異常に遅いテンポで聴衆を震撼させました。
当時はまだ、妻の死のショックから立ち直っていなかったのかもしれません。
そんなポゴレリチが、数年前から充実した演奏で復活した姿を見せてくれています。
2017年の秋にはNHKとともに奈良の古刹・正暦寺で、およそ30年ぶりの映像作品を収録。
神がかった演奏でファンを喜ばせました。
そして、還暦を迎えた2018年12月、さらに充実した演奏を聴かせてくれたのでした。
【参考図書】 ポゴレリチのロングインタビューが収められた本。台湾人の音楽ジャーナリスト、チャオ・ユアンプーが聞き手となり、興味深い話を聞き出しています。
演奏会が始まる前に…
ここ数年のポゴレリチのリサイタルでは恒例になっているのですが、開演前のステージに、カジュアルな服装のままふらりと現れるのです。
そして、ホールの響きを確かめるために、ささやくような弱音で奏ではじめ…
その音色の美しいこと!!
会場に入った聴衆は、暗いステージで音を出しているのがポゴレリチだと気付いて呆然と立ち尽くし、あまりに美しい音に動くことができなくなります。
こんな贅沢な時間があるだろうか…
演奏会が始まる前から、聴衆はポゴレリチのいる深い森にいざなわれているのです。
ポゴレリチの指先は地球の中心とつながっている
3つの作品が演奏されましたが、僕は細かい論評をする気はありません。
言いたいのは、ポゴレリチの指先は地球の中心とつながっている、ということです。
彼は180センチを超える偉丈夫で、巨大な手を持っています。
以前、僕は彼と握手をしたことがありますが、ただ面積が大きいのではなく、ものすごく分厚く、重い手なのです。
彼は演奏するとき、ほとんど指を上げません。
日本のピアノ教育では、指をわしゃわしゃ高く上げて弾くよう指導されますが、ポゴレリチは指先をただ鍵盤の上に落とすだけです。
木の葉から雨滴が落ちるように、ただ重力に従って、地球の中心に向かって自然に鍵盤に下ろされるのです。
かつてセンセーショナルな演奏で衝撃的な個性を見せつけたポゴレリチですが、実は演奏する姿は自然そのものでした。
どんなに速いパッセージも無理なく、風が吹き抜けるように指が疾走し、どんなに重厚なフォルテッシモも力任せにならず、樹齢1000年の大樹のように鳴るのです。
ポゴレリチは僧侶のように
多くの演奏家は、年齢を重ねるごとに技術的な衰えを隠せなくなっていきます。
ところがポゴレリチの演奏は、ますます研ぎ澄まされています。
多彩な音色をコントロールする技術は極限まで磨き上げられ、ペダリングは神の領域に入っています。
2017年にNHKで放送された「イーヴォ・ポゴレリチ in 奈良 ~正暦寺福寿院客殿~」では、借景の庭を見つめる後ろ姿が映し出されました。
その姿はまるで、悟りに近づいた僧侶のようでした。
祈りと狂気の間
ポゴレリチの凄みは、その音楽の大きさです。
神秘的な祈りの響きから、振り切れた狂気までが、巨大な音楽を構築していきます。
シューマンの大作「交響的練習曲」では、フィナーレの終盤で転調した瞬間、リミッターが外れたように音が溢れ出し、すべての聴衆を歓喜の渦に巻き込んでいきました。
あとがき
僕は子供のころ、ポゴレリチの尖った鋭角的な演奏に熱狂しました。
あれから30年以上が経ち、今のポゴレリチはまったく別次元にいるようです。
おそらく、これからも彼は頻繁に日本に来てくれるでしょう。
僕は毎回必ず聴きに行きたいと思います。