大作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の生涯をたどるシリーズの第1回は、彼自身の人生より少しさかのぼって、音楽家としてのルーツとも言える祖父のお話からはじめていきましょう。
出身は現ベルギーのメヘレン
祖父の名は、孫と同じルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1712~1773)。
彼の出身は、フランドル地方のメヘレンという町です(現在のベルギー)。ブリュッセルとアントワープの中間に位置する古都で、歴史的な建造物が今も残ります。
彼の名前にある「ヴァン(van)」は、ネーデルラント(オランダからベルギー北部にまたがる地域)特有のものです。
家は商家でしたが、少年時代から美声に恵まれ、5歳で地元教会の少年聖歌隊員になったのが、音楽家としての出発点となりました。
▼メヘレンの町並み。高さ97メートルの塔を持つ聖ロンバウツ大聖堂が、町のランドマークになっています。
(euobserverから引用)
ケルン選帝侯に見出される
ベートーヴェンの祖父ルートヴィヒは、その後、メヘレン近隣の町で教会の専属オルガニストなどを務めていました。
1733年、彼が21歳の年に、リエージュ(現在のベルギー東部の都市)の聖ランベール大聖堂でバス歌手として歌っているところを、ケルン選帝侯クレメンス・アウグスト(1700~1761)に見出されます。
選帝侯というのは、神聖ローマ帝国の君主に対する選挙権を持つ諸侯のことで、この時代には7名しかいない名誉ある肩書でした。
▼クレメンス・アウグスト。政治家としても聖職者としても無能な人物でしたが、芸術の振興には功績を残しました。
祖父ルートヴィヒは、ケルン選帝侯が居城を構えていたボンに、宮廷音楽家として招かれることになりました。
ボンの町並み
ボンは、ドイツの西部、ベルギーとの国境近くに位置する町。ライン川沿いの小さく美しい文教都市です。
有名な観光名所や歴史的建造物があるわけではありませんが、古き良き素朴なドイツ文化が残る町として愛されています。
東西冷戦中の1949~1990年には、西ドイツの首都が置かれていました。
結婚と息子ヨハンの誕生
ボンに移り住んだ祖父ルートヴィヒは、間もなく、マリア=ヨーゼファ・ポル(1714~1775)と結婚します。彼女は、結婚当時19歳でした。
彼らは子供を授かりますが、不幸なことに、二人続けて幼い命を落としてしまいます。
一人目の女の子は、結婚3年目の1735年に生まれましたが、1歳になった直後に死去。
1736年に二人目の男の子が生まれますが、この子も幼くして亡くなりました(没年不詳)。
当時の乳幼児死亡率は50%以上だったとも言われ、このような悲しい出来事は、珍しいことではありませんでした。
そんな中、たった一人無事に成人したのが、1740年に生まれたヨハンでした。後に大作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの父親となる人物です。
しかし、二人の幼い子供を失ったショックからか、マリア=ヨーゼファは若くしてアルコール依存症になり、修道院の施設に収容されて、長期の入院の末、亡くなります(享年61)。
宮廷楽長に
1761年、祖父ルートヴィヒは宮廷楽長に抜擢されます。当時49歳(息子ヨハンは21歳)でした。
宮廷楽長とは、諸侯のための宴席や年中行事のために、宮廷楽団の指揮・作曲・運営などを任されるポジションで、多忙を極めたといいます(最も有名なのは、エステルハージ侯の宮廷楽長を務めたヨーゼフ・ハイドンでしょうか)。
彼を宮廷楽長に抜擢したのは、クレメンス・アウグストの後継者、ケルン選帝侯マクシミリアン・フリートリヒ(1708~1784)でした。
▼マクシミリアン・フリートリヒは最晩年に、まだ10代前半だったベートーヴェンの最初の雇用主にもなる人物です。
祖父の人物像
祖父ルートヴィヒの人物像について触れておきましょう。
当時の知人は、彼の相貌について、次のように述べています。
「真っ赤な頬、非常に深刻な顔。活発な目をした小さくて元気な男」
また、彼の性格については、このように述べています。
「真面目で立派な性格。専門的な実務と財務管理に勤勉な人物。親切で社交的である」
ワイン販売業が家族にもたらしたもの
祖父ルートヴィヒは、宮廷での仕事の傍ら、ワインの販売業もしていました。これは、メヘレン時代に実家が営んでいた商売の延長だったようです。
もしかしたら、彼の扱っていたワインが、妻のアルコール依存症(息子ヨハンも後年アルコール依存症になる)の一因になった可能性もあるかもしれません。
勤勉で人望もあった祖父ルートヴィヒですが、家庭生活には影がつきまとっていました。
孫ルートヴィヒが生まれて3年後に死去
後に大作曲家となるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが生まれたのは1770年。祖父ルートヴィヒが58歳の年でした(息子ヨハンは30歳)。
自分と同じ名前をつけた孫を「ルイ」と呼んで可愛がり、手を引いて歩く宮廷楽長の姿を、町の人々はたびたび見かけています。
しかし、ルイが3歳になったばかりの1773年、彼は突然の脳卒中で亡くなります。享年61。ルイが音楽の才能を開花させる前のことでした。
幼心に祖父のことを記憶していたルイは、後年ウィーンに移り住んでからも、祖父の肖像画を部屋の一番いい場所に飾って、敬愛し続けました。
一方、息子ヨハンにとって父親の突然の死は、社会的にも経済的にも大きな後ろ盾を失うことを意味しました。
▼次回「〈両親〉父ヨハンと母マリア・マグダレーナ」はこちら。
【ベートーヴェンの生涯2】〈両親〉父ヨハンと母マリア・マグダレーナ ルートヴィヒの誕生