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ラヴェルが生まれた街、シブールとサン・ジャン・ド・リュズを訪ねてみた【フランス旅行記】

ラヴェルが生まれた町シブール(生家)

こんにちは。そなてぃねです。

出張でフランスを訪ねた際に、作曲家モーリス・ラヴェル(1875~1937)が生まれた街、シブールと、その隣町サン・ジャン・ド・リュズを訪ねてきました。

ラヴェルの原点ともいえるバスク地方の街の魅力をお伝えします。

モーリス・ラヴェルって、こんな人

旅行記に入る前に、作曲家モーリス・ラヴェルについて少し触れておきましょう。

生まれは1875年。スイス出身の父と、バスク人の母の間に生まれました。

13歳年上のドビュッシーとともに、「フランス印象主義」の代表的な作曲家と言われています。

印象主義って何でしょうね? ちょっとつかみどころのない概念ですが、例えば「水」などの形のないものを、それまでになかった音の響きで表現したりします。

ピアノ曲「水の戯れ」「水の精」(「夜のガスパール」の1曲目)など、一度聞いてみてください。「え!?音でこんな表現ができるのか!」とびっくりすると思いますよ。

【おすすめ5選】清らかで神秘的な気分になれる「水を描いたクラシックの名曲」

色彩感あふれるオーケストレーションも魅力です。「ボレロ」など、誰もが一度は聞いたことがあると思いますよ。刻々と変化していく音の色彩に注目して聴いてみると面白いですよ。

余談ですが、この動画、指揮はロシアの巨匠ワレリー・ゲルギエフです。つまようじのような指揮棒は必見ですよ!

さあ、そんなラヴェルにとって、母親がバスク人であることが、とても重要でした。

ラヴェルのルーツ「バスク」

バスク人といのは、フランスとスペインの国境、ピレネー山脈の山すそに住む民族です。バスク語という独自の言語を話すそうです。彫りの深い特徴的な顔をしていて、伝統的な音楽や舞踊を持っています。

彼らが住むバスク地方は、こちらの地図の赤で示された部分です。

ご覧のように、バスク地方はフランスとスペインにまたがる形で広がっています。フランス側を「フレンチ・バスク」、スペイン側を「スペイン・バスク」と言います。

ラヴェルのお母さんはバスク人でした。里帰り出産のような形で、フレンチ・バスクの街シブールで、モーリスを生んだのです。

この街を、仕事の合間の時間で訪ねてきました。

ラヴェルの生家

ラヴェルの生まれた家が、そのまま残されています。こちらです。

ラヴェルが生まれたのは、中央やや右の立派な石造りの4階建て(屋根裏も含めると5階建てかな?)です。

周りの建物を見ると、赤い木枠で家が装飾されていますよね。これはバスクのおうちの特徴なんだそうです。赤だけではなく、緑のおうちもあって、町全体がとてもかわいい印象です。

見上げると、こんな感じ。シンプルな造りですが、なかなか重厚感があって立派です。

この建物の1階が、ラヴェルが生まれた部屋だそうです。

このフロアは、今は地元の「歴史文化協会」の事務所になっていて、観光案内や書籍の販売などをしていました。

ラヴェルが生まれたときは、どんなお部屋だったのでしょうね。

窓のすぐ目の前が漁港になっていて、海と漁船が見えます(窓ガラスが反射して、うまく撮影できませんでした…)。

乳飲み子のラヴェルとお母さんは、そんな風景を見ながら過ごしたのでしょうね。

入り江の対岸にラヴェルの生家が見えるのですが、分かりますか…?

▼分かりやすく矢印をつけてみました。

シブールの入り江の対岸に見えるラヴェルの生家

ニヴェル川が海に注ぎ込む、小さな漁村の、海に面した部屋で、ラヴェルは生またんですね。

実はラヴェルがここで過ごしたのは、生後3か月まででした。その後、家族はパリに移りました。

ですが、ラヴェルはこの地を愛し続けて、何度も訪れているのです。

彼の中のバスク人の血が、この地を求めたのかもしれませんね。

ラヴェルが洗礼を受けたサン・ヴァンサン教会

ラヴェルの生家のすぐ裏に、彼が洗礼を受けた教会があります。サン・ヴァンサン教会です。

通りの右側に見える石造りの細長い家が、ラヴェルの生家。

そして通りの左側に見えるのが、サン・ヴァンサン教会です。本当に徒歩15秒の距離ですね。

外観は素朴そのもの。石造りの壁には、飾りがほとんどありません。

内装は、木が多く使われているのが印象的でした。ウィーンやパリの大きな教会は、すべてが重厚な石で作られている感じですが、この教会は木のぬくもりが伝わってきます。

この一角に、ラヴェルが洗礼を受けたことを示すプレートが掲げられています。

白い柱の奥にある石造りの器のようなものが、洗礼水なのだそうです。

よく訪れたサン・ジャン・ド・リュズの砂浜

シブールという街は、ニヴェル川を隔てて、サン・ジャン・ド・リュズという街と隣り合っています。

この地図で、川の左側(西側)がラヴェルが生まれた「シブール」、川の右側(東側)が「サン・ジャン・ド・リュズ」です。ほとんどひとつの街といってもいい、近い距離にあります。

地味で素朴なシブールに対して、サン・ジャン・ド・リュズは観光地として知られた比較的にぎやかな街です。

サン・ジャン・ド・リュズには美しいビーチがあります。ここはサーファーが好んで訪れるスポットだそうで、近づくと地響きがするような波の音が聞こえてきます。

ラヴェルは虚弱体質だったようですが、泳ぎは得意で、この砂浜をよく訪れたそうです。

パリの喧騒を離れて、自分のルーツであるこの街で、ゆっくりと心を休めたのでしょうね。

ラヴェルがよく通ったルイ14世広場

サン・ジャン・ド・リュズを訪ねると、ラヴェルは街の中心であるルイ14世広場によく行ったそうです。

この広場にはオープンカフェがいくつかあります。そこでカプチーノでも飲みながら、のんびり過ごしたのかもしれませんね。

この町で作曲された作品

シブールとサン・ジャン・ド・リュズをたびたび訪れたラヴェルは、この地で多くの作品を書きました。

中でも僕が大好きなのは、1914年に作曲されたピアノ三重奏曲です。

この曲の作曲中に第一次世界大戦が勃発。戦時中に最愛の母を亡くしています。

激動の時代に書かれた作品ですが、不思議な静けさが感じられるのはなぜでしょうか。

ラヴェルは後年、この曲にバスク風のニュアンスを込めたと語っています。

【参考動画】 若手のホープ、黒川侑(ヴァイオリン)、上野通明(チェロ)、阪田知樹(ピアノ)による演奏です。

▼僕の一番のおすすめCDは、川久保賜紀(ヴァイオリン)、遠藤真理(チェロ)、三浦友理枝(ピアノ)の美女3人による演奏。透明感ある美しい響きを堪能できます。

おまけ:バスク料理はおいしい!

せっかくフレンチ・バスクの街に行ったので、地元のお料理を食べました。

ホテルのおじさんが一番のオススメ!と紹介してくれた「CHEZ PABLO」というお店です(読み方が分からない…)。

本当は夜に行ったんですけど、日中の外観はこんな感じ。

クリームコロッケ、タコのコロッケ、ハムのコロッケ、3種の盛り合わせです。めっちゃうまかったです、これ。

一番の名物料理がこれ。黒いやつ。何か分かりますか?

そう、イカ墨のお料理です!

地元でとれた小さなイカが、ゴロゴロ入っています。

これは、うま味のかたまりです!こんなおいしいイカ墨のソースは、なかなか食べられません。

バスク地方に来たら、これは絶対に食べてください!ここでしか食べられない最高のお料理ですよ。

陽気なおじさんが迎えてくれました。あ~また食べに行きたい。

あとがき

作曲家モーリス・ラヴェルが生まれた街シブールと、彼がよく訪れた隣町のサン・ジャン・ド・リュズをご紹介しました。

生後3か月までしかいなかったにもかかわらず、彼が生涯、自分のルーツとして大切にし続けた街です。

生家や教会以外に、ラヴェルの痕跡を探すのは難しいですが、この街の空気を味わうと、彼の音楽も少し違って聴こえるかもしれません。

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