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【イタリア旅行記3】オペラ作曲家プッチーニの故郷、ルッカを訪ねる

こんにちは! プッチーニの歌劇「ボエーム」を聴くたびに甘酸っぱい気持ちになるえいぷりおです。

イタリア旅行記の第3弾は、オペラ作曲家プッチーニの故郷、ルッカを訪ねた記録です。

中世の雰囲気をそのまま残した素晴らしい街でしたよ。

プッチーニはこんな人

ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)は、イタリアを代表するオペラ作曲家です。

ルッカの宗教音楽家の家系に生まれ、5代目として教会のオルガニストも務めました。彼がオルガンを弾いた教会も訪ねてきたので、後ほどご紹介しますね。

22歳でオペラ作曲家を志してミラノに出ます。35歳で発表した3作目の歌劇「マノン・レスコー」が大ヒットし、一躍その名が知られるようになりました。

プッチ―ニの作品の魅力と言えば、甘美なメロディ、劇的な展開、細やかな心理描写… などでしょうか。世俗的すぎるといった意見もありますが、僕は大好きです。

よく知られたオペラ作品には「ボエーム」「蝶々夫人」「トスカ」「トゥーランドット」などがあります。

【イタリア旅行記1】プッチーニの歌劇「トスカ」の舞台、ローマの観光名所を訪ねる

故郷のルッカには頻繁に帰っていたようで、ジーリオ劇場(Teatro del Giglio)では、彼の多くの作品が上演されています。

後半生はルッカから車で30分ほどの海浜の街、トッレ・デル・ラーゴに居を構え、作曲に専念しました。

城壁に囲まれた街ルッカ

ルッカはイタリアのトスカーナ地方の街です。

上の写真を見ていただくと、木に囲まれた円形の街になっていることが分かると思います。

これ実は、城壁で囲まれているんです。下の写真を見てください。

こんな感じの城壁にぐるりと囲まれているのです。城壁の上は遊歩道になっていて、地元の人がのんびり散歩をしていました。

この城壁に守られてきたからか、ルッカは中世の雰囲気を今も色濃く残しています。

城壁の中にも入ることができるんですよ。

城壁の中には、こんな感じで迷路のような洞窟が! この洞窟がどのように使われたのかは分かりませんが、なんだかタイムスリップするような感覚にとらわれました。

ルッカは、近隣のフィレンツェのような観光地とは違って、昔ながらの雰囲気がそのまま残っているのです。

グイニージ塔から街を一望する

城壁に囲まれたルッカの街で、最も高い建物が「グイニージ塔」です。この塔、ちょっと変わっているんです。

見てください! なんと屋上に樫の木が植えられているのです。面白いですよね。

エレベーターなんて、もちろんありません。長ーい螺旋階段を上っていきます。

この階段が、だんだん狭くなっていき、頂上にたどり着きます。運動不足の40代の身体には、結構こたえました!

赤茶色の屋根が重なり合う景色はとても美しく、いくつか見える教会の塔からは、鐘の音が聞こえてきました。

この街でプッチーニは22歳まで過ごしたんですね。



プッチーニの生家を訪ねる

プッチーニの生家はプッチーニ博物館として公開されています。近くのショップで予約をすると、中に入ることができます。

この写真の中央やや左にある4階建てのレンガの建物が生家です。

小さな広場に面していて、そこにはプッチーニ像が置かれています。

プッチーニさん、広場にぽっかりと開けた美しい空を見上げているようでした。

生家の中に入ってみましょう。2000年代になってから全面的に改修されたそうで、床も壁も、プッチーニが暮らしていたころの面影は残っていません。

最初の部屋にはピアノが置かれていました。

博物館の人に聞いたところ、このピアノもプッチーニが亡くなった年に寄贈されたもので、本人が青年時代に弾いていたものではないそうです。

奥の肖像画は、プッチーニの「グランド・グランド・グランド ファーザー」だそうです。宗教音楽家の家系として初代の方にあたります。

こんな家系図が壁にかけられていました。ちょっと見えにくいかもしれませんが、赤い字で記されているのが音楽家だそうです。プッチーニ家からは、たくさんの音楽家が生まれているんですね。

その中で唯一、世界的な作曲家となったのがジャコモ・プッチーニでした。こちらが、ジャコモの欄。

1858年にルッカで生まれたことが、赤い字で記されていますね。

続いての部屋はベッドルームです。

博物館の人に聞いたところ、この部屋でプッチーニは生まれたそうです。

ベッドは複製で、本物は別の場所に保管されているとか。でも、雰囲気は十分に伝わってきました。

屋根裏には、こんな展示がされていました。

プッチーニの代表作、歌劇「ボエーム」第1幕と第4幕の舞台である屋根裏部屋が再現されているのですね。

これはもちろん展示物ですので、プッチーニが暮らしていたころとは違いますよ。

ですが、屋根裏部屋の横の窓から見えるこの風景は、プッチーニが暮らしていたころと、ほとんど変わっていないのではないでしょうか。

サン・ミケーレ・イン・フォーロ教会

プッチーニはルッカにある3つの教会でオルガンを弾いていたそうです。

中でも、生家から徒歩1分ほどの距離にあるサン・ミケーレ・イン・フォーロ教会は、プッチーニゆかりの教会として知られています。

凝ったデザインのファサードを持つ立派な教会でした。

でも色は白っぽいグレーのみで、とてもシンプル。これはルッカの他の教会にも共通していて、街全体が華美にならず、とても落ち着いた雰囲気なんです。

教会の中も、とても質素で静かな空気に満たされていました。

職員さんに聞くと、オルガンはかなり長い間、誰にも演奏されていないそうです。

もしかしたら、プッチーニがルッカを去って以降、弾く人がいなくなったのかもしれません。なぜなら、プッチーニ家の音楽家は5代目のジャコモで途絶えているからです。

地元の人に愛され続けるプッチーニ

プッチーニと関わりのあった他の教会も訪ねてみました。

こちらは、サン・ピエトロ・サマルディ教会(San Pietro Somaldi)です。

この教会も、静けさに満たされた素晴らしい空間でした。

プッチーニはここでも演奏していたそうで、オルガンのどこかに彼のサインがあるそうです。残念ながら、ここのオルガンも長年弾かれておらず、バルコニーは危ないということで、近くで見せてもらうことはできませんでした。

神父さんと少しお話をしたのですが、プッチーニのことを、とても親しみを込めて話していたのが印象的でした。

「あいつは新しいものが好きで、当時珍しかった車を買ってルッカに戻ってきて、この街で最初に車を乗り回した男なんだよ」

みたいな感じで話されるのです。僕の感覚では、クラシック音楽の作曲家というと、近づきがたい偉人! という感じがするのですが、ルッカの人たちにとってプッチーニは、もっと親しみのある人物なのだと感じました。

もう一つの教会にも寄ってみました。サン・フランチェスコ教会です。

ここも本当に美しい教会でした。

実はこの教会には、もともと行くつもりはなくて、シンプルな外観にひかれてたまたま入ったのでした。

ところが、中に入ってみると、ここでもプッチーニに出会うことができました。片隅に、こんなプレートが掲げられていたのです。

これはどうやら、1958年にプッチーニの生誕100年を記念して作られたもののようです。

この教会にはオルガンはなく、プッチーニとの関係は分かりませんが、ルッカの街全体がプッチーニを愛していることを示しているように思いました。

最後にこちら。

これは、街の人に教えてもらった、プッチーニが生前よく通っていたというカフェです。

今はもう閉店してしまっていますが、22歳でルッカを出たのちも、ずっとこの街とかかわりを持ち続けたことが伝わってくるようでした。

えいぷりお的まとめ

オペラ作曲家プッチーニが生まれ育った街、ルッカの旅行記でした。

今回の出張で、僕はローマとフィレンツェを訪ね、フィレンツェの空き時間にルッカに足を延ばしました(車で1時間ほど)。

ローマやフィレンツェといった有名な観光地と違って、ルッカには昔から変わることない人々の暮らしが感じられ、僕にとって一番のお気に入りの街となりました。

ご紹介した場所は、こちらの地図を参照してください。

クラシック音楽の記事について

子供のころから大好きだったクラシック音楽について書いてみることにしました。

様々な音楽ジャンルの中でも「敷居が高い」と敬遠されがちなクラシック音楽。分かりやすく口ずさめるポップスなどと違って、確かにクラシック音楽は複雑だったり長すぎたりと、ちょっととっつきにくい面があるかもしれません。

ですが、だからこそクラシック音楽は奥深いんです。その魅力を僕自身も再発見しながら書いていきたいです。

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